業績の「V字回復」に導くが、勝負に出たプラズマテレビで「誤算」
反転攻勢を目指した中村氏が肩入れしたのは、普及が始まりつつあったデジタル家電だった。
薄型テレビやハードディスク付きDVDレコーダー、デジタルカメラなどに販売促進を集中させ、買い替え需要の喚起に成功。リストラの効果もあり、2004年3月期には最終損益を黒字化させ、「V字回復」ともてはやされた。
ただ、そこに誤算の始まりがあった。
当時の薄型テレビの表示方式には、現在主流の液晶のほかにプラズマがあり、松下電器は大画面化に向くプラズマテレビに賭けた。松下電器にはブラウン管テレビの「成功体験」があり、当時はテレビが「家電の王様」と位置付けられていた。
大阪湾岸には巨大なプラズマテレビ工場を相次いで建設し、同時期に計画が進んだシャープの液晶テレビ工場と合わせて、大阪湾岸は「パネルベイ」と称されて期待が高まった。
だが、液晶テレビも大画面化ができるようになるとプラズマテレビの優位性は低下し、他メーカーは相次いで撤退。量産効果で液晶テレビの価格が下がると、プラズマテレビは太刀打ちできなくなった。
プラズマテレビ工場の減損処理が響き、2012年3月期には7000億円を超える最終赤字を計上。中村氏は2006年に社長の座を譲って会長に就いた後も実権を握っていたが、2012年6月に会長を退任した。巨額赤字との関連が取り沙汰された。