物価高騰をきっかけに、従業員の生活を支援する特別手当として「インフレ手当」を支給する動きが企業に広がっている。
帝国データバンクが2022年11月17日に発表した調査によると、企業の6.6%が支給を決めており、予定・検討中も含めると約4社に1社が前向きに取り組もうとしている。
ただ、エコノミストの分析では、恵まれた一部の企業の従業員が潤うだけで、物価高の痛みを和らげる効果は微々たるものだ、と見る向きも。しかし、その「インフレ手当」を活用して、働く人全体の賃上げを促す画期的なアイデアがあるという。いったいどんな方法か。
企業は世間の評判を意識、一時金は出すがベア引き上げは慎重
「インフレ手当」については、J-CASTニュース会社ウォッチでも2022年11月18日付「御社にはありますか? 『インフレ手当』4社に1社、取り組む調査 支給額平均は一時金5万3700円、月額手当6500円...なんと月額3万円も!」でも報じた。
そのなかで、IT大手サイボウズ、家電量販店ノジマ、ビーフン製造のケンミン食品、光学系部品製造オキサイド、中華料理「大阪王将」、東北銀行などでの取り組み例を紹介した。その後も、三菱自動車や音楽情報サービスのオリコンなどが支給を決めたことが報道されている。
こうしたインフレ手当支給の動きをエコノミストはどう見ているのか。
「物価高の痛みを和らげる効果は小さい」と疑問を投げけるのは、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。
木内登英氏はリポート「広がるインフレ手当の支給:支給総額は666億円」(11月21日付)のなかで、帝国データバンクの調査と、経済産業省「2021年企業活動基本調査速報」のデータをもとに、インフレ手当が日本経済に与える影響を試算した。
その結果は――。
一時金の平均支給額は、5万3700円。そして、支給した企業は全体の6.6%だから、従業員数を掛けると支給総額は666.3億円となる。このうち、個人消費に回るのは25%程度と推定されるため、個人消費押し上げ効果は166.6億円だ。
また、支給する予定・検討中も含めた企業は全体の26.4%だった。仮にそれらがすべて支給すると計算すると、支給総額は2665.1億円、個人消費押し上げ効果は666.3億円となる。これでも年間名目GDPの0.01%にすぎない。
だから木内氏はこう指摘する。
「インフレ手当を支給する企業は増えてきているが、実際の支給が個人消費に与える影響は比較的軽微であり、足元で前年比4%に迫る消費者物価(除く生鮮食品)の上昇による所得目減り分を補う効果は小さい。
先行きの経済情勢に対する不透明感が強まる中、企業はベアの引き上げには慎重である。日本ではベアは一度引き上げれば、引き下げることが難しく、長期にわたって企業にとっての固定費となり、収益を圧迫する可能性があるためだ。
企業は、自社のレピュテーション(世間の評判)を意識して、物価高という従業員にとっての逆風に配慮する姿勢を見せる一方で、長期にわたって企業の収益環境に重しとならないように考える。その結果、企業は固定給の引き上げに代わってボーナスやインフレ手当といった一時金の支給に前向きになっている」
つまり、ベアのような恒常的な所得の引き上げと比べ、インフレ手当という一時金による所得増加は、個人消費に回る割合が半分程度にとどまる。したがって、物価高に苦しむ消費者の痛みを和らげる効果は小さくなるというわけだ。
インフレ手当を法人税控除の対象にすると...税収も増える!
一方、このインフレ手当をうまく活用して、働く人全体の「賃上げ」に結びつけるアイデアを提案するのが、第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏だ。
熊野氏はリポート「インフレ手当による家計所得支援~民間企業の素早い対応を側面支援できるか?~」(11月21日付)の中で、消費者物価指数の高い伸び率のグラフ【図表参照】を示しながら、一部の企業のインフレ手当だけでは「残念ながらマクロ的なインパクトはまだ大きくない」と指摘した。
そのうえで、政府の支援によってインフレ手当を全体の賃上げに結びつける方法をこう提案した。
「インフレ手当に充当した一時金を特別に区分して、それに税制優遇を加える方法である。仮に、企業の申請によって、インフレ手当として支給した一時金(全額)に対して、すでにある賃上げ促進税制を拡充して、大企業向け30%、中小企業向け40%の税額控除をそのまま適用する」
熊野氏の試算は――。仮に、上限12万円(月額手当に換算して12か月各1万円)を税額控除の対象にしたとする。この場合、雇用者全体の6070万人に、年間12万円のインフレ手当が支給されると、最大で総額7.3兆円の名目雇用者報酬の増加になる。年率では、2022年度と比較して、雇用者報酬を2.5%も増やせるのだ。
このインパクトは、消費者物価上昇による負担増をほぼ帳消しできる規模になる。だが、こうした政策には必ず政策コストの問題がついて回る。賃上げ促進税制に準じて、大企業(法人税を30%控除)と中小企業(同40%)にそれぞれ税額控除すると、法人税の減収はマイナス2.7兆円にも及ぶ。
しかし、心配ご無用。熊野氏はこうソロバンをはじくのだ。
「名目雇用者報酬が7.3兆円ほど増えるとき、所得税・住民税、厚生年金保険料、そして消費段階での消費税の税収が増える(税収には厚生年金保険料も含めて考えている)。限界消費性向(所得の増加分の中から消費の増加にあてられる部分の割合)を6割にすると、筆者の計算では約2.5兆円は自然増収などで戻ってくる。ほぼ税収中立は守られる。故に、バラマキの批判は当たらない」
バラマキではなく、賃上げ促進こそ本筋
ただし、熊野氏は「賃上げ促進こそ本筋」だとしてこう強調する。
「この政策支援を行うメリットには、多くの企業に賃上げ促進税制を利用してもらう狙いもある。中小企業の中には、制度が用意されていても、それを利用せずにいる企業が相当数あると考えられる。インフレ手当分の一時金支給額に対して税額控除されるとなれば、多くの企業が初めて賃上げ促進税制を利用することになる。つまり、制度を利用しようとする企業が多くなって、より賃上げが促進されることにもなるだろう」「政府には、こうした一時的なインフレ手当の支援だけではなく、春闘における趨勢的なベースアップを支援することが望まれる」
(福田和郎)