日本にマクドナルドが上陸して半世紀。本書「日本マクドナルド 『挑戦と変革』の経営」(東洋経済新報社)は、その歩みを初めて書籍化した「社史」的な内容である。
といっても、「社史」に付き物のきれいごとばかりではなく、過去の失敗にも言及するなど、ビジネス書としても読みごたえがある1冊になっている。
「日本マクドナルド 『挑戦と変革』の経営」(日本マクドナルド株式会社著)東洋経済新報社
「新しい文化や商品は銀座から全国に広がっていく」と藤田田氏
日本マクドナルドの第1号店は、1971年7月20日、東京の銀座三越の1階にオープンした。貿易商社「藤田商店」を創業した藤田田(ふじた・でん)氏が、大手商社や流通業などを押しのけて、日本でのパートナーに選ばれた。
アメリカ側は郊外の幹線道路沿いのドライブインとして出店したほうが良いとアドバイスしたが、藤田は「新しい文化や商品は銀座から全国に広がっていく」と考え、銀座三越にこだわったという。
初日の売上は40万円程度で、目標の100万円には届かず、その後も平日は「閑古鳥が鳴いていた」と表現している。
一変したのはオープンから1カ月後の8月。
富士山のすそ野で開かれていた世界ジャンボリー大会に参加した外国人ボーイスカウト、ガールスカウトたちが、銀座の店にどっとやって来た。そして、歩行者天国の路上でハンバーガーを食べ始めた姿がかっこ良く映り、それ以後、若者の来店が急増したという。消費文化が変わった一コマだ。
1975年には年商100億円を超え、76年には店舗数が100店を突破した。だが、その後売上は伸び悩む。大都市の繁華街に立地する戦略の限界だったからだ。
そこで、モータリゼーションの波に乗ろうと、77年にドライブスルー方式の店を東京・高井戸にオープン。客席数100~200席の大型ドライブスルー店舗が増え、82年には店舗数は347店となり、84年には売上1000億円を突破した。
80年代を象徴するヒット商品が87年の「サンキューセット」だ。それぞれ単品で買うと520円になるハンバーガー、フライドポテト、ドリンクのセットを390円のセット価格に設定したところ、爆発的なヒットになった。
実はこれ、それまで1ドル=240円程度だった為替相場が120円まで円高になったため、差益を還元しようと始めた企画だった。期間限定のつもりが、さらに円高が進んだこともあり、87年の1年間のうち、209日間も「サンキューセット」を販売することになったという。当時の円高はこんなところにも恩恵をもたらしていたのだ。
その後、90年代には、地理情報システムを活用し、この場所に出店したらどれくらいの売り上げが立つのかが瞬時にわかるプログラムを開発し、出店ラッシュが続いた。
500店目は85年で創業から14年を要したが、500店から1000店までは8年、1000店から2000店、2000店から3000店へは、それぞれ3年で到達した。「1日に1店、新しい店がオープンする」怒涛の勢いだった。
94年の大規模小売店舗法の規制緩和も追い風になった。全国各地に大型ショッピングセンターやスーパーが誕生し、そこに出店したのだ。2001年には東証JASDAQ市場に上場し、順風満帆に見えたこの後、一転して低迷期に差し掛かる。