ビートルズはなぜ成功したのか?...音楽ビジネス革新者が取り入れた「稼ぐ技術」【尾藤克之のオススメ】

週刊誌が躍った「ビートルズ来日フィーバー」の真相!
前代未聞のビートルズ研究本第3弾! 今度は週刊誌を徹底総括!
昭和史における一大イベントを当時のメディアはどのように伝えたのか?

   2016年、2017年に刊行され、日本全国のビートルズ・ファンをうならせた『ビートルズと日本』シリーズ第3弾がついに登場した。

   1966年のビートルズ来日公演を、大衆メディアの代表である週刊誌はどのように報じたのか? 当時の週刊誌各誌の記事を並べて徹底検証、そこから浮かび上がる「日本人にとってのビートルズ」の存在に迫る一冊を紹介する。

「お金の流れで読み解くビートルズの栄光と挫折」(大村大次郎著) 秀和システム

先駆者ゆえの失敗もあった

   1960年から1970年代にかけて、世界を席巻したビートルズ。その成功は優れた音楽性とアイドル性によるものと思われているが、もう一つ優れた部分があった。著者の大村さんは、「それは『ビジネス・スキル』である」と言う。

「ビートルズは、博打性の高かった音楽業界で『売れるため』『売れ続けるため』に、さまざまな音楽ビジネスのスキルを開発しました。当時の音楽市場に大変革をもたらします。ビートルズのライブチケットは、アルバムと同じ程度の金額に抑えて青少年たちにも買えるようにし、それがティーンエイジャーの人気を爆発させました」(大村さん)
「当時は、シングルレコードの売上が収益の中心でしたが、ビートルズはアルバムの商品価値を高め、アルバムで収益を稼ぎ出すことに成功します。革ジャンにリーゼントというバリバリの不良少年だった彼らが、デビューするときにはスーツにマッシュルーム・カットという洗練されたスタイルになっておりイメージ戦略も使っていました」(同)

   これらのビートルズのビジネス・スキルは、現代のビジネスにおいても、学ぶべき点があると言っても過言ではない。

「その一方で、ビートルズは先駆者ゆえの失敗もありました。曲の版権を早く譲り渡してしまったために、彼らは、天文学的な印税の大半を受け取ることができなかったのです。さらに、イギリスの高い税金を逃れるためにつくった会社は、経理の専門家がいなかったために、胡散臭い連中に食い物にされてしまいました」(大村さん)
「彼らの成功と失敗は、そのまま貴重な『ビジネスへの教訓』となっています。1966年、ビートルズ来日前~来日中~来日後にわたる週刊誌の記事を徹底検証しました。彼らの足跡を、ビジネス的な視点で眺め、現代に生かすことが本書を書いた狙いです」(同)

ビートルズの思い出は永遠に

   ビートルズは、世界で最も成功したバンドである。音楽誌『ローリング・ストーン』による「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において、第1位にランクインしている。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」でも1位となっている。

   筆者である私は、小学生の頃、はじめてビートルズを聞いた。アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」を聴いたとき、稲妻が落ちた。「イエスタディ」「ミッシェル」が弾きたくてギターをはじめた。ポールの声が印象に残っているが、作詞・作曲はレノン=マッカートニーである。

   さて、ここでビートルズの構成を考えてみたい。冷静にみると、かなりいびつな年齢構成だ。結成時、ジョンは16歳、ポールは14歳、ハリスン13歳である。高校生と中学生が一緒にやるようなもので、一般的ではないだろう。このヘンテコなメンバー構成にこそ、ジョンの「音楽で食べていく」という心意気が表れていると、大村さんは指摘する。

   来日当時の、加熱するビートルズ論争とは? 来日中のメンバーの動向を追ったドキュメントや、今では考えられない鮮烈な記事見出しも掲載されている。日本中を巻き込んだ一大イベントを総覧。これぞビートルズ研究の金字塔である。

(尾藤克之)

尾藤 克之(びとう・かつゆき)
尾藤 克之(びとう・かつゆき)
コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員。
議員秘書、コンサル、IT系上場企業等の役員を経て、現在は障害者支援団体の「アスカ王国」を運営。複数のニュースサイトに投稿。著書は『最後まで読みたくなる最強の文章術』(ソシム)など19冊。アメーバブログ「コラム秘伝のタレ」も連載中。
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