公然の業績操作
その後継者選びも変わっていた。
最終候補者3人を社の内外に知らせる、公開バトルロイヤルのような選考を行ったのだ。そして、最年少だが最有力候補と目されたGEヘルスケアのセールスの天才、ジェフ・イメルトが2001年9月、新しいCEOとなった。
その直後に9.11の同時多発テロが起きて、景気の後退が懸念されたが、GEは複雑な仕組みで利益目標を達成した。業績操作は秘密でもなんでもなかったという。
「GEでは最初に業績目標が決められ、どうやってそれを達成するかは二の次である。その目標を達成するために必要な数字が各事業に割り振られ、方法はどうであれ、数字を達成することが厳しく求められる」
期末にはお約束のように「帳尻合わせ」が行われた。こんな風に。
「GEキャピタルが保有する膨大な資産から、換金できるチップがふんだんに提供されたからだ。四半期末の雲行きが怪しくなると、何かが売却された。ビル、駐車場、飛行機など、宝箱の中の何かを売れば、簡単に数字をつくることができた」
エジソン・コンデュイットという特別目的会社を使った巧妙な仕組みもあった。しかし、エンロンをはじめとする会計不祥事をきっかけに2002年、米国企業改革法が成立し、それまでの方法が通用しなくなった。
イメルトが就任したとき、株価は約38ドルだったが、09年には12ドルまで下がった。70年ぶりに減配が行われ、トリプルAの格付けも引き下げられた。
著者は、GEはダブルスタンダードによって恩恵を受けていた、と指摘する。「大手銀行と同じように融資ビジネスで現金を得ながら、GEを堅実で安全な工業会社だと考える投資家の信頼に支えられていた」というのだ。