見直しの背景に、政府の景気判断と、景気の「山」判定食い違い
実は、今回の見直しには、政治的な理由もあった。
引き金は、20年7月、内閣府の景気動向指数研究会が18年10月を景気の「山」と認定したことだ。12年12月に始まった景気回復期が18年10月に終了し、景気後退期に入った。つまり、安倍晋三首相(当時)の経済政策「アベノミクス」による景気拡大の終了宣言だった。米中貿易戦争の影響で、製造業の輸出や生産が悪化し始めたことが主な理由だった。
このころの成長率をみると、18年後半は失速したが、19年前半はプラスが続き、政府は毎月、景気は「回復している」との判断を続けていただけに、そうした政府の景気判断と、景気の「山」の判定が食い違うことになった。
アベノミクス景気は71か月で終わり、「いざなみ景気」(02年2月~08年2月)に2か月及ばず、「戦後最長」を逃したわけで、当時の西村康稔経済財政・再生相は判断が出た後の記者会見で「こうした形で判定されたことは残念」と悔しがった。
この時の景気動向指数研究会では、一致指数の見直しを求める声も出され、そうした流れの中で内閣府は検討に着手した。今回の新指数は、その課題への答案ということになる。