世界的モーターメーカー、日本電産の関潤社長兼最高執行責任者(COO、61歳)が2022年9月2日、辞任した。
関氏は2020年6月の株主総会で社長に就き、21年6月には最高経営責任者(CEO)も引き継いだ。カリスマ経営者として知られる創業者の永守重信会長兼CEO(77)の後継者とされたのだが、株価低迷などを理由に22年4月、COOに「降格」されていた。
成果を上げられないことで永守氏が見限ったということになり、ポスト永守が定まらない日本電産の将来への不安は消えそうにない。
永守氏がCEO一時復帰後も、関氏は有力な後継候補と見られていたが...
後任社長には、創業時から永守氏を支えてきた小部(こべ)博志氏(73)が副会長から就任した。ただ、年齢的にも暫定的体制となる。
2日オンライン会見した永守氏は「(関氏に)経営手法を学んでくれと頼んだが、だめだった」とするとともに、「外部にもっといい人がいたというのは錯覚だった」と述べ、後継者は生え抜きの人材から登用する考えを明言した。
関氏の降格についてはJ-CASTニュース 会社ウォッチ「日本電産→『ニデック』に社名変更、永守重信氏がCEO復帰...短期的に指揮、業績改善目指す カリスマの『後継者』問題も振出しに」(2022年5月1日付)で報じたように、永守氏は関氏のCOE就任時1万2000円台だった株価が1年足らずで8000円台に下落したことを「耐えがたい」と述べ、理由に挙げた。
ただ、この時点では、関氏は有力な後継候補ではあり続けるとの見方があり、6月の株主総会の際も、永守氏は「彼(関氏)が逃げない限りは育てる」と述べ、関氏も「逃げる気はまったくない。ここで逃げたらなんのために来たかわからない」と語っていた。
永守氏「企業文化が崩れていくことに危機感を覚えた」
今回、退任に至ったのは、直接には、日産自動車出身の関氏が任され、次世代の屋台骨に育てようとしていた車載事業の不振だった。
2022年4~6月期連結決算(国際会計基準)は、全社の営業利益は446億円と横ばいで、円安による押上約87億円を除けば、実質減益。事業別では、車載事業が3200万円の赤字(前年同期は48億円黒字)に転落した。
電磁鋼板やマグネットなど原材料の値上がりに製品の値上げが追い付かなかったと説明されたが、車載事業の営業赤字は22年1~3月期に続き2四半期連続。
これを発表した7月20日の決算説明会で、関氏は「私のリーダーシップが足りないのは確かだった」と述べたが、永守会長は「すぐやる、必ずやる、できるまでやる、の企業理念にのっとって強いリーダーシップがあれば改善できる」と、不満を隠さなかった。
この時、永守氏は、自身のCEO復帰について「企業文化が崩れていくことに危機感を覚えた。その現象を見て見ない振りをすることはできなかった」と、あらためて説明した。
こうした一連の発言を読み解くと、関氏のもとで、日本電産創業以来の企業文化が崩れていくことの不満もあったということだろう。
23年4月副社長5人を選抜、24年4月その中から1人を社長起用
日本電産は、2013年に後継含みで副社長にスカウトした呉文精氏(カルソニックカンセイ=現マレリ社長などを経験)が15年に退社。14年に副会長兼最高技術責任者(CTO)になったシャープ元社長の片山幹雄氏もその後、退いた。
15年には日産自動車タイ現地法人社長だった吉本浩之氏を副社長として招き、18年6月に創業以来初めて社長職をバトンタッチしたが、20年4月に退任。そして、その吉本氏に代わって社長に就き、初めてCEOを引き継いだ関氏も去ることになった。
今回、小部氏の後任社長起用は、企業文化継承を重視する考えを明確にするものだ。9月2日の会見で、2023年4月に社内から副社長5人を選抜し、その中から1人を24年4月に社長に起用する方針を示した。
永守氏はこの日、「24年に体制ができたら、(永守氏と小部氏は)フォローをして少しずつ消えていく」と述べ、小部氏でつなぐ間に正式の後継者を選定する方針を示した。
ただ、これまで「ポスト永守」選びは何度も頓挫してきただけに、計画通りいく保証はない。(ジャーナリスト 済田経夫)