令和に入って4年。実力主義の世の中になったかと思いきや、まだまだ出身大学が年収に影響しているようだ。
就職・転職のジョブマーケット・プラットフォームを運営する「OpenWork 働きがい研究所」は2022年8月23日、会員ユーザーの口コミ投稿から調査した「出身大学別年収ランキング2022」を発表した。
それによると、30歳時点での年収1位は東京大学、2位一橋大学、3位慶應義塾大学......と、ありがちな傾向を示したが、25歳から55歳までの年収アップ額をみると、超意外な結果に! ダントツ1位は一橋大学なのだが、早慶京都大学を押しのけて「防衛大学校」が3位に浮上したのだ。
いったい、どういうことか。
年収では「官高民低」...「旧帝大」7校すべてランクイン
「OpenWork」は、社会人の会員ユーザーが自分の勤務している企業や官庁など職場の情報を投稿する国内最大規模のクチコミサイト(会員数は約4500万人、2021年12月時点)だ。
「年収・待遇」「職場環境」「社員の士気」など8つの項目で、自分の職場を評価して投稿する。そのなかには、企業の「年齢別年収」を浮き彫りにするコンテンツもあり、登録された会員の年収データを元に、独自のアルゴリズム(計算システム)によって企業ごとに異なる賃金カーブを25歳から5歳刻みで可視化することができるという。
今回の調査では、出身大学291校、約25万人のデータを対象に各年齢の想定年収を算出した。そして、トップ30の大学を発表した=表参照。
そして、次のことがわかった。
(1)30歳時の想定年収は、1位東京大学(761万円)、2位一橋大学(707万円)、3位慶應義塾大学(676万円)、4位京都大学(666万円)、5位東京工業大学(645万円)がランクイン。
(2)年収では「官高民低」。「旧帝大」(北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学)の7校全てランクインし、上位30校のうち21校を国公立大学が占め、私立大学は9校しか入らなかった。
(3)私立大学では、「早慶上智」(早稲田大学・慶應義塾大学・上智大学)はトップ15以内に3校すべてがランクイン。また、関東の難関私大「MARCH」の5校からは中央大学・明治大学・青山学院大学の3校が、関西の難関私大「関関同立」の4校からは同志社大学の1校がそれぞれランクイン。
(4)東京大学は25歳時~50歳時まで1位を維持するが、55歳時に一橋大学が「経済総合大学」の強みを発揮、逆転1位になる。一橋大学は25歳から55歳にかけての「年収アップ額」1位(プラス910万円)。「年収アップ額」の2位は東京大学(プラス832万円)だが、なんと3位は防衛大学校(プラス794万円)! 4位が京都大学(プラス719万円)、5位が名古屋大学(プラス700万円)という結果に。
防衛大学校の年収急上昇、新幹線級の出世スピード?!
防衛大学校の年収が急上昇した秘密は、どこにあるのか――。
「OpenWork 働きがい研究所」の発表資料には、ほとんど説明がない。そこで、防衛大学校のホームページを見ると、学生の時から「年収」に恵まれていることに驚かされる。「学生の身分・待遇」として、こう書かれている。
「学生の身分は、特別職の国家公務員です。(中略)全員学生舎に居住し、被服、寝具、食事などが貸与又は支給されるほか、毎月学生手当(令和3年=2021年=12月現在:11万7000円)が支給されます。また、6月、12月には期末手当(いわゆるボーナス、令和3年度実績:年39万1950円)が支給されます」
また、「卒業後の進路」にはこう書かれている。
「厳しくも有意義な学生生活を終えた後には、自衛官任官への道が待っています。(中略)その後は自衛隊の職域に応じた専門教育を受けながら幹部としての道を進みます。将来は各自の能力・努力に応じて重要な地位に就くことになります」
そして、約1年の訓練を経て、いずれも幹部自衛官の「3等尉」に任命される。自衛官は最高幹部の「幕僚長」(企業なら社長に該当)から「将」「佐」「尉」「曹」「士」(平社員に該当)と計16階級あるが、「尉」以上が幹部自衛官、つまり企業で言えば管理職にあたる。
いわば、入社2年目から「課長」が約束されているわけだ。あとはトントン拍子に「偉く」なるだけだから、各駅停車の列車に乗った一般自衛官に比べ、新幹線に乗ったようなスピードで年収もアップするのだろう。
一橋大が東大に逆転勝利の秘密...「渋沢栄一精神」にあり?!
一方、東京大学を上回る一橋大学の年収アップの秘密はどこにあるのか。一橋大学といえば、数多くの経済人を輩出している大学だが、昨年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公、渋沢栄一が「経済人の養成のために創立した」とよく喧伝されている。
ところが、一橋大学のホームページを見ると、ちょっと違う。こう書かれているのだ。
「明治8年(1875)年8月 森有礼が東京銀座尾張町に商法講習所を私設する。9月24日同講習所の開業を東京会議所から東京府知事に届け出る。この日を本学創立記念日とする」
つまり、本当の創立者は「近代教育行政の父」と言われた薩摩人の森有礼というわけだ。それがなぜ、渋沢栄一になるのか。調べてみると、森有礼が私塾「商法講習所」開設直後、特命全公使として清国へ渡航。経営に携わることができなくなり、渋沢栄一ら有志が献金を提唱、経費を補充したのだという。その後、「東京商業学校」と改称され、渋沢栄一が経営を任されることになったのだ。
東京商業学校(一橋大学の前身)が軌道にのった頃、渋沢栄一は「官尊民卑」の世俗を憂い、東京大学の学生が実業を軽視することを嘆じ、東京大学総理(学長)の加藤弘之に訴えた。すると、加藤弘之はぜひ実際に学生に講じてほしいと依頼した。そこで、渋沢栄一は東京大学文学部の講師になり、「日本財政論」を教え始めた。
ちなみに東京大学で、経済学部の前身である経済学科が法学部の中にできたのは、ずっと後年の1908年(明治41年)だ。いかに東京大学が「経済」を軽んじていたかわかる。
こんなふうに、官界に権勢をふるい実業を下目に見てきた東京大学と、「経済を豊かにすることによって人々を幸せにする」ことを生涯の生き方にした渋沢栄一の精神を叩き込まれてきた一橋大学の違いが、年収の差にも表れてきているのかもしれない。
なお、今回の調査は、2018年3月~2022年6月にOpenWorkへ登録のあった年収及び出身大学データのうち、100件以上投稿が大学291校、24万6134人を対象とした。
(福田和郎)