「経済産業大臣に対し、この冬で最大9基の稼働を進め、日本全体の電力消費量の約1割に相当する分を確保するよう指示いたしました」
岸田文雄首相は2022年7月14日の記者会見で、今夏以上に電力の需給が逼迫するとみられる冬場に向け、原発の稼働を拡大する方針を表面した。
並行して火力発電の再稼働も加速させることで「政府の責任においてあらゆる方策を講じ、将来にわたって電力の安定供給が確保できるよう全力で取り組みます」と政権のリーダーシップをアピールしてみせた。
電力業界からは「拍子抜けだ」と嘲笑の声
この発言にはSNS上で「英断だ」との声があふれるとともに、新聞各紙も翌日の1面で「原発最大9基稼働」などと大々的に報じた。
ところが、肝心の電力業界からは「拍子抜けだ」と嘲笑の声が漏れる。岸田首相がアピールした「9基稼働」はもともと、電力各社の計画にすでに織り込まれていたもので、「既定路線で新味がない内容」(電力大手関係者)だったためだ。
現在、国内にある原発は33基。このうち原子力規制委員会の安全審査を通過し、稼働可能な状況になっているものは10基ある。ただし、10基すべてが同時に稼働していることは現実にはほとんどない。原子炉等規制では13か月に1回、定期検査を義務づけており、この期間中は原子炉を数か月間止める必要があるからだ。
電力各社が発表している稼働計画をみると、検査期間がなるべく重ならないように配慮はされているが、それでも10基の同時可能な時期はない。
冬場の稼働数が最大となるのは2023年1月下旬の9基で、岸田首相が口にした「9基稼働」の条件を満たすことにはなる。ただし、その状況が続くのは2月中旬までのわずか1か月弱だ。
岸田首相、「対応誤れば支持率急落」を懸念?
最大の問題は、岸田発言が電力需給逼迫の解消に何らつながらないことだろう。
経産省の電力需給見通しによると、今冬、10年に一度の寒波が到来した場合、国内10電力管内のうち8電力管内は2023年1月、電力供給の余力を示す「供給予備率」が安定供給に必要な3%を下回る懸念がある。東北、東京電力管内では3月も3%以下になると見込まれている。
この見通しにはすでに「9基稼働」が織り込まれている。
岸田発言の翌日に記者会見を開いた電気事業連合会の池辺和弘会長(九州電力社長)は「ほとんどの原発はすでに(計画に)織り込まれている。需給が厳しい状況には変わりない」と認めた。
なぜ岸田首相は、実態として意味がないのを承知で原発の「9基稼働」を強調したのか――。その背景には世界的な資源高で電気料金の値上げが相次ぐ中、電力の供給不足の不安にもさらされる有権者のいら立ちがあると見られる。
参院選で大勝し、安定政権に向けた大きな一歩を踏み出すことになった岸田首相にとって、目下の最大のテーマはインフレ対策だ。この対応を誤れば「支持率の急落など足元をすくわれかねない」(自民党幹部)との危機感がある。電力供給の安定化はこの延長戦上にある、というわけだ。
電力の供給力不足は「構造的な問題」...冬場に向けての懸念ぬぐえず
しかし、電力業界をよく知る関係者は「電力の供給力不足は構造的な問題。供給の安定化は、言うは易し、行うは難しというのが現実だ」と指摘する。
国内33基のうち、国に再稼働を申請したのは、すでに稼働可能となっている10基を含めて計25基ある。15基はいまだ立地自治体の同意など必要な条件を満たすことはできず、再稼働のめどが立たない。
「地域偏在」の問題もある。
稼働可能な原発10基はすべて西日本に位置している。東日本大震災による福島第1原発事故の記憶が強い東日本では、申請手続きの停滞が目立つ。東北電力・東京電力管内が特に電力需給が厳しい傾向にあるのは、このためだ。
しかし、政府はこうした「構造的問題」に長く抜本的な対策を講じることなく、電力の供給不足を放置してきた。老朽化した火力発電の再稼働にも限界があり、このまま供給不足の懸念を抱えたまま冬場に突入する公算が強い。
「政府の責任においてあらゆる方策を講じる」
7月14日の記者会見でこう明言した岸田首相だが、冬場の需給逼迫が現実になれば、その言葉はブーメランとなって自身への批判として跳ね返ってくる。(ジャーナリスト 白井俊郎)