安倍晋三元首相が狙撃され亡くなられるという、痛ましい事件が起きました。日本で大物政治家が銃撃により暗殺されるという想像もしなかった事件の衝撃は大きく、当然ながら、テレビ、雑誌、ネットはこの話題で持ちきりとなっています。
知らず知らずのうちに世界を覆いつくす悪しき風潮
事件発生当初、報道に登場する政治家やニュースキャスター、コメンテーター方のこの事件に対する発言トーンは、「民主主義に対する挑戦」「暴力による言論弾圧」を非難するというものが目立っていました。
しかし、被疑者の動機が全く政治的理由ではなく至極個人的な事情に起因しているものであると判明するにつれ、そのトーンは収まりをみせてきました。そうなると報道の矛先は、被疑者の動機である個人的事情の原因となったと思しき宗教集団の寄付共用に対する糾弾、という方向に変わってきています。
個人的に思うのは、全国民が動揺を覚えるほどの大きな事件から、我々一人ひとりが注視すべきポイントはどこなのか、ということです。
民主主義擁護や言論の自由は、今言われている被疑者の犯行動機から考えて、どうやら関係なさそうです。また、メディアで指摘されている要人警護に落ち度があったのではないかということは事実のようですが、それも我々には直接は関係ないことのように思います。
さらには先にも触れた、犯行動機につながったと思しき宗教団体の活動を執拗に糾弾することも、必要なことではありますが注視すべき問題の核心ではないように思うのです。
私が思うこの事件の問題の本質は、「暴力」行使という被疑者の行動こそ、我々一人ひとりがことさら重大なこととして捉えなくてはいけないのではないのか、ということです。なぜならこの事件の根底には、今の世の中を広く覆う風潮の問題が横たわっているように感じるからなのです。
その風潮とは、自分の思いを果たすためには武力行使、暴力による実力行使も正当化され得る、という悪しき風潮です。この由々しき風潮は今年の春以降、知らず知らずのうちに世界に覆いつくしてきたかのように感じるのです。
3月のウクライナ侵攻以降、相次ぐアメリカでの銃乱射事件
この風潮の大元は、ロシアによるウクライナ侵攻にあります。世界の覇権の一翼を担う大国ロシアが、武力によって隣国への侵略を企てるという暴挙が公然とおこなわれ、侵攻を受けたウクライナも米国をはじめ大国の支援を受けて武力を持って応戦する。そんな情報が映像と共に連日世界中に流されることで、武力や暴力があたり前の日常になり、世界中の人たちの感覚もどこかで狂ってしまったのではないか。私にはそんな疑念が拭えないのです。
3月のウクライナ侵攻以降、アメリカで銃乱射事件による悲劇的な事件が相次いで起きているのも、決して偶然ではないと思っています。そして今度は日本で、元首相を手製の銃で狙撃し命を奪うという、およそこれまでの常識では考えられないような事件が起きてしまったのです。
アメリカの銃乱射事件も、日本の元首相の狙撃殺人事件も、ロシアの武力行使に端を発して武力や暴力を受け入れざるを得なくなった日常に、まともな感覚を奪われてしまった者の仕業に違いないと思えるのです。
当然のことながら、暴力で人を殺めるような行動に出る人はごくわずかでしょう。しかし、この手の負の連鎖から感じるのは、我々の誰しもが少なからずどこかで病んでいる可能性は否定できないのではないか、ということです。
具体的には、仕事やプライベートの人間関係において、以前よりも攻撃的になったり、あるいは自己中心になったり、気が付かないうちに周囲に不要な不愉快をばら撒いている可能性もあると思うのです。
あなたにも「力ずく」がないか、よくよく省みてほしい
とくに組織のリーダーや管理者は注意が必要でしょう。
そもそもロシアのウクライナ侵攻は、リーダーの乱暴な判断によってはじめられたものです。仮に、それは間違った判断であると思いつつ見守っていたとしても、「力づく」が容認され、まかり通っていることに、同じリーダーとして知らず知らずのうちに影響を受けている可能性は否定できないと思うのです。
たとえば、社内で有無を言わさず自身の考えを押し通したり、ビジネスにおいて相手の意向を汲むことなく折衝をすすめたり、あるいは、部下に対してパワハラまがい指示をしていたり...。
最近の自分に「力ずく」に近いような行動がないか、よくよく省みる必要があるでしょう。この手の話は自身では認識のない場合も多いので、周囲の人に最近の自分について「力づく」になっていることはないか、聞いてみるのがいいかもしれません。
21世紀の今、世界指折りの大国が他国に戦争を仕掛けるなどということ自体が暴力を正当化しかねない異常な行動に違いなく、それが世の中に与える悪影響は計り知れないものがあるのです。そのことを我々一人ひとりがもっと強く意識するべきなのではないかと、安倍元首相の狙撃・暗殺事件は物語っているように思えてなりません。
リーダーの皆さんには、今回の事件を不幸な他人事で通り過ぎることなく、ぜひとも自分事として受け止めて欲しいと思った次第です。
(大関暁夫)