3月のウクライナ侵攻以降、相次ぐアメリカでの銃乱射事件
この風潮の大元は、ロシアによるウクライナ侵攻にあります。世界の覇権の一翼を担う大国ロシアが、武力によって隣国への侵略を企てるという暴挙が公然とおこなわれ、侵攻を受けたウクライナも米国をはじめ大国の支援を受けて武力を持って応戦する。そんな情報が映像と共に連日世界中に流されることで、武力や暴力があたり前の日常になり、世界中の人たちの感覚もどこかで狂ってしまったのではないか。私にはそんな疑念が拭えないのです。
3月のウクライナ侵攻以降、アメリカで銃乱射事件による悲劇的な事件が相次いで起きているのも、決して偶然ではないと思っています。そして今度は日本で、元首相を手製の銃で狙撃し命を奪うという、およそこれまでの常識では考えられないような事件が起きてしまったのです。
アメリカの銃乱射事件も、日本の元首相の狙撃殺人事件も、ロシアの武力行使に端を発して武力や暴力を受け入れざるを得なくなった日常に、まともな感覚を奪われてしまった者の仕業に違いないと思えるのです。
当然のことながら、暴力で人を殺めるような行動に出る人はごくわずかでしょう。しかし、この手の負の連鎖から感じるのは、我々の誰しもが少なからずどこかで病んでいる可能性は否定できないのではないか、ということです。
具体的には、仕事やプライベートの人間関係において、以前よりも攻撃的になったり、あるいは自己中心になったり、気が付かないうちに周囲に不要な不愉快をばら撒いている可能性もあると思うのです。