ロシアがウクライナに侵攻してから5か月。欧州では記録的なインフレが収まらない状態だ。
ここにきて、欧州の経済制裁に対するロシアの「報復」と見られる天然ガス供給ストップも加わり、企業の生産活動や市民生活に直結するエネルギーを確保できるか、正念場を迎えている。
米国に続き欧州まで景気が減速すれば、世界経済はどうなるのか。エコノミストの分析を読み解くと――。
「欧州は厳しい冬を覚悟しなければならない」
ユーロ圏のインフレ率が予想以上に上昇している。欧州連合(EU)統計局(ユーロスタット)が2022年7月1日に発表した6月のユーロ圏消費者物価指数(CPI)上昇率は前年同月比8.6%増と、5月の8.1%増から加速した。
さらに「ユーロ安」も加速している状況で、7月12日には20年ぶりに1ユーロが1ドルを下回る「パリティ」(=等価、1ユーロ=1ドル)割れが起こる事態になっている。
そこに追い討ちをかけるように7月11日、ロシアとドイツを結ぶ天然ガスのパイプライン「ノルドストリーム」が定期点検のためと称して欧州向けのガス供給をストップした。
プーチン大統領はかねがね、「ロシアに対する制裁措置には、報復制裁を辞さない」と明言しており、ロシアからのガス供給がストップすれば、ガスの需要が高まる今年冬には欧州経済はピンチに陥るのは避けられない。
こうした事態をエコノミストたちはどうみているのか。
「欧州は厳しい冬を覚悟しなければならない」と指摘するのは、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。
木内氏のリポート「ロシアの原油、天然ガス報復制裁と欧州の景気後退リスク」(7月13日付)では、プーチン大統領の脅しが欧州諸国に打撃を与え、EU経済が冬場にかけて厳しい状況を迎えることは避けられない、と指摘する。
「プーチン大統領は、ロシアに対する制裁措置は確かにロシア経済に打撃を与えるが、既に物価高騰に苦しむ先進諸国はそれ以上の打撃を被る、と7月8日に発言している。また、追加制裁が行われれば、世界のエネルギー市場は破壊的な結果を生む、と先進国を脅している」
「ロシアは既に欧州に対して、天然ガスの輸出削減を報復制裁として実施している。6月にはロシアとドイツとを結ぶ海底パイプライン、ノルドストリーム1を通じたドイツへの天然ガスの供給を6割削減している。そして7月11日には、ノルドストリーム1による欧州への天然ガスの供給が停止した。運営会社は21日までの『定期点検』としているが、実際にはロシア政府による報復制裁の可能性が高い」
こうしたロシアによる報復措置は、欧州経済に深刻な経済後退を招きかねない。木内氏はブルームバーグの報道を引用する形で、こう懸念を示した。
「ブルームバーグが7月11日に公表したエコノミストへの調査(7月1日~7日)の結果によると、物価上昇率が歴史的水準にある中で、さらに天然ガスが不足することで、景気後退(リセッション)のリスクが高まっている、との見方が示された。
向こう1年間にユーロ圏経済が景気後退に陥る可能性については45%と5割に近づいた。ウクライナ問題前にはその確率は20%、6月時点の調査では30%であったことから、7月調査では景気後退の予想確率が一気に高まったことを意味している。ドイツ経済については景気後退の予想確率は55%と5割を超えた」
脱炭素の旗振り役ドイツ、石炭火力で急場しのぎ
ドイツといえば、長らくユーロ圏経済を牽引してきた存在だ。そのドイツの惨状を第一生命経済研究所主席エコノミストの田中理氏が、リポート「欧州に迫るガス危機」(7月13日付)の中で報告する。
まず、ロシアの天然ガス供給締め付けによって、どれだけエネルギー価格が高騰しているか――。
「ノルドストリーム経由のガス供給が完全に止まると、冬場の需要期にガス不足に陥る恐れがある。ガスの配給制を開始する必要に迫られ、エネルギー集約型産業向けのガス供給の縮小で、経済活動に大幅なブレーキが掛かる。その場合、需給逼迫によるガス価格の一段の高騰も加わり、欧州は景気後退に陥る可能性が高い」
オランダTFTの天然ガス先物価格は7月上旬から価格が急騰、1年前の5倍以上に跳ね上がった=図表1参照。
これを受けて、欧州各国の電力料金も高騰している。
欧州各国はロシアに代わるガスの調達先として、米国や中東諸国などからLNG(液化天然ガス)の輸入を拡大しているが、割高なスポット市場での調達を余儀なくされるうえ、大きな問題があった。それは――。
「ドイツや中東欧諸国の多くはLNGの陸揚げ港を持たない。ドイツは陸揚げ港の新設を計画しているが、完成には数年を要する。(中略)当面のガス不足に対処するため、ドイツでは石炭火力の利用拡大で急場しのぎをしている」
脱炭素の旗振り役だったドイツが、温暖化ガスを大量に排出する石炭火力に回帰せざるを得なくなったわけだ。そして、ドイツの窮状をこう報告する。
「ドイツでは暖房の設定温度の引き下げや街灯の間引き点灯など、冬場に向けて様々な(天然ガスの)節約措置が検討されている。(中略)本格的なガス不足に直面した場合、家庭向けや生活に密接した産業向けにガスを優先的に振り向ける配給制が開始される公算が大きい」
「現在、3段階の緊急ガス計画の2段階目にあたる『非常警報』を発令している。ロシアからのガス供給が止まった場合、これを3段階目の『緊急事態』に引き上げ、政府主導で事態の対処に当たる。配給制の開始により、化学や鉄鋼などエネルギー集約型産業向けのガス供給が絞られ、それが他の産業にも波及し、経済活動に大幅なブレーキが掛かる」
「ガス供給の停止時は、需給逼迫からガス価格や電力価格の一段の高騰が避けられない。加えて、ドイツでは経営難に陥ったエネルギー企業を救済するため、ガス価格の上昇を消費者に転嫁することを認める支援策が検討されている。(9月以降)ドイツの物価上昇率が再加速する可能性が高い。(中略)インフレ警戒を強めるECB(欧州中央銀行)がより積極的な利上げに踏み切り、景気を冷え込ませる可能性が高まる」
ロシアの天然ガス供給ストップという措置によって、物価高騰と景気後退のダブルパンチがドイツ国民を襲ってくるというわけだ。
ドイツ連邦銀行(中央銀行)はガスの配給制を開始した場合、ドイツの実質GDP(国内総生産)が向こう1年間で3.3%減少すると試算。さらに、外需の冷え込みなどの要素を加味すると、2023年の実質GDPが7%近く押し下げられる、と発表している。
「ユーロ安」、止める手立てがないジレンマ
同じく第一生命経済研究所主席エコノミストの田中理氏は、別のリポート「ユーロが20年振りのパリティ割れ」(7月14日付)の中で、急速に進む「ユーロ安」が欧州の経済減速をさらに加速させる、と指摘した。
外国為替市場では、7月12日の取引時間中に一時0.9999ルまでユーロが下落、2002年以来20年ぶりのパリティ割れとなった。14日には1ユーロ=0.995ドルまで値下がりした=図表2参照。
田中氏はこう説明する。
「通貨安の進行は通常、輸出競争力の改善を通じて景気を押し上げる。だが、深刻な物価高騰に見舞われるユーロ圏では、ユーロ安による輸入物価の上昇が、家計の実質購買力の目減りや企業収益の圧迫を通じて景気を下押しする。また、資源価格の高騰とユーロ安進行は、貿易黒字の縮小(貿易赤字の拡大)につながる。ドイツの5月の貿易収支は、資源価格の高騰と割高なスポット市場でのLNG調達拡大から、1991年以来の赤字に転落した」
「貿易赤字の拡大は、海外への支払いに充てる外貨需要を高め、さらなるユーロ売りを招く側面もある。ECB(欧州中央銀行)は7月21日に11年振りの利上げ開始を予定しており、9月には利上げ幅を拡大する可能性を示唆している。
もっとも、ユーロ圏が深刻な景気後退に陥った場合、早晩、利上げ方針の修正を余儀なくされる。一段の物価高騰でECBが利上げペースを一旦加速させる可能性もあるが、その場合は景気のオーバーキル(過剰な景気引締め政策)が意識され、為替相場は先行きの利下げ転換を視野に入れよう。どちらに転んでもユーロ売り要因となる」
つまり、さらなるユーロ安が避けられない、というわけだ。
新たなリスク要因「イタリア危機」の行方
そして、ユーロ安が進行すると貿易収支の赤字が拡大して、ますます経済が減速するというジレンマに陥ると指摘するが、三菱UFJリサーチ&コンサルティング副主任研究員の土田陽介氏だ。
土田氏のリポート「急速に進むユーロ安~今後もユーロ安が続く見込み」(7月15日付)によると、ユーロ圏の経常収支は2022年3月に30.4億ユーロの赤字に転じ、翌4月には57.6憶ユーロに赤字が膨らんだ=図表3参照。
これは、経常収支の黒字を支えてきた貿易収支が赤字に転じたことが理由だが、主な取引相手国別にみると、米国向けには安定した黒字だ。その一方で、ロシア向けと中国向けの赤字が拡大していることがわかる=図表4参照。
これはどういうわけか。土田氏はこう説明する。
「ロシア向けに赤字が拡大している理由には、輸出が減少している一方で輸入がそれほど減っていないことがある。輸入が減らないのは、(ロシア産の原油や天然ガスなどの)化石燃料の価格が高騰しているためである。他方で、中国向けに赤字が拡大している理由としては、輸出がそれほど増えていない一方で輸入が増加していることがある。(中略)特に原材料が増加しており、電気自動車(EV)などの生産に必要な原材料の輸入が増えたと推察される」
さらに、ユーロ安に歯止めをかけにくい理由がEUにはある。EUにはさまざまな経済事情を抱えた国が多いからだ。
「イタリアやスペイン、ギリシャといった重債務国を抱える以上、ECB(欧州中央銀行)はFRB(米連邦準備制度理事会)のようなピッチで利上げをすることができない。そのため、金利差の観点からは、ユーロ安に歯止めがかかる展望は描きにくい。また、実需の観点からも、ロシアとの関係悪化に端を発したエネルギー高の影響から、今後も貿易赤字の定着が予想される」
「急増する対中貿易赤字も、中国からの原材料輸入の急増がEVシフトなどEUの目指す脱炭素化と密接に関わっている可能性がある。(中略)対中貿易赤字は高止まりとなるか、増加基調で推移する。そうなれば、ユーロ圏全体の貿易赤字が拡大するとともに、それがユーロ安を定着させる要因になると考えられる」
と、「お先真っ暗」な状態が続きそうだ。
そこに新たなリスク要因が加わった。「イタリア危機」だ。
物価高騰が深刻なイタリアで、なんとか経済を支えてきた元ECB(欧州中央銀行)総裁でもあるマリオ・ドラギ首相が7月14日、連立政権内の分裂を理由に辞任する意向を発表した。もしドラギ政権が崩壊すれば、次の総選挙では左派・右派双方のポピュリズム政党が躍進することが予想され、イタリア政局は混迷に陥るとみられる。
土田氏はこう結んでいる。
「足元では、イタリアの政権崩壊リスクもユーロ安の材料になる。ドラギ現政権が崩壊して総選挙となれば、イタリアの長期金利が拡大し、ユーロが売られやすくなるだろう」
(福田和郎)