インスタグラムとフェイスブックのユーザーという人は多いだろう。社員数わずか17人だったインスタグラムは、2012年に前代未聞の10億ドル(当時の円換算で約1100億円)でフェイスブックに買収された。
その後も成長を続け、全世界ユーザーは月間10億人(日本国内3300万人)を突破した。本書「インスタグラム 野望の果ての真実」(ニューズピックス)は、フェイスブック(現・メタ)CEOマーク・ザッカーバーグの野心と、インスタグラム創業者の葛藤を描いている。
成長か美意識か、決定的なビジョンのズレは、巨大SNS企業で何を引き起こしたのか? 多くのビジネスパーソンへの教訓に満ちた本だ。
「インスタグラム 野望の果ての真実」(サラ・フライヤー著、井口耕二訳)ニューズピックス
著者のサラ・フライヤー氏は、ブルームバーグ誌のシニア記者。彼女が書いたフェイスブックについての記事は、同社CEOマーク・ザッカーバーグを召喚した米議会公聴会でも引用されるなど、大きな影響力を持つ記者だ。
本書の取材に対し、インスタグラムの2人の創業者をはじめフェイスブック関係者は惜しみなく協力。ザッカーバーグも取材に応じている。こうしたことから、「すべてを知る神の視点から私が物語るという形になった」というほど、両者の関係性が鮮明に描かれている。
セレブ製造機になったインスタグラム
インスタグラムは前代未聞のセレブ製造機になっている、と書き出している。
フォロワーが5万人いれば、ブランドの依頼に応じた投稿で暮らせるほどの収入が得られる。しかも、そのレベルなら、2億人以上のユーザーがクリアしているという。
ニューヨーク・タイムズ紙の定期購読者よりも多いフォロワーを持つユーザーやブランドが何百万にも達し、彼らを通じたマーケティングは、一大産業になっている。
ちなみに、「インスタ映え」は日本で生まれ、英語に輸入された言葉だそうだ。「現実よりもきれいな写真」を投稿できるインスタグラムは、いかにして生まれたのか、簡単に振り返ってみよう。
◆次のゴールドラッシュは「スマホ」と確信
共同創業者の1人、ケビン・シストロムは1983年生まれ。スタンフォード大学を卒業、イタリアに留学後、グーグルに入社した。学生時代にザッカーバーグに会い、フェイスブックへの入社を勧誘されたが断っていた。
また、ツイッターの立ち上げを進めていたオデオ社でインターンを経験したが、「こんなものを使いたがる人なんているはずがない」と思い、入社しなかった。
グーグルでは、製品を作る仕事をさせてはもらえなかった。コンピューターサイエンスの学位がなかったからだ。Gmailのマーケティングコピーを書く仕事の後、買収部門に異動した。
しかし、2008年はリーマンショックで米国経済が落ち込み、グーグルも会社を買わなくなっていた。仕事がなく、「ゴルフでもしたらどうだい」という同僚の言葉を聞き、潮時だと思った。
25歳の若さで多くの経験をしたことが成功の要因だった、と著者は考えている。
「フェイスブックが成長至上主義であることも知ったし、ツイッターがおそろしくアグレッシブであることも、グーグルが学究的でやり方にこだわることも知った」
リーダーのことも全員知り、彼らが求めていることも知った。神秘的なことは何もない。小さなスタートアップに転職し、起業のチャンスを待った。次のゴールドラッシュの現場は「スマホ」であると確信していた。
◆「カメラを持ち歩かず、スマホだけ持ち歩く」日が来る
スタンフォードの後輩でアプリを作れるブラジル出身のマイク・クリーガーに声をかけ、2人でiPhone用アプリの開発を始めた。
桟橋にある古いコワーキングスペースで、すきま風やカモメのうるさい鳴き声に耐えながら、必死でキーボードをたたき続けた。写真をキラー機能にしたアプリが目標だった。「カメラを持ち歩かず、スマホだけ持ち歩く」という日が来る、と思ったからだ。
それから2010年7月、最初の写真を投稿した。10月に一般公開すると、すぐにヒットした。6週間後にはユーザー数が200万を突破した。写真を手軽に投稿でき、見栄えがいいことが支持されたのだ。
17歳のポップスター、ジャスティン・ビーバーがユーザーになると毎分50人のペースでフォロワーが増えた。ユーザーの年齢層が下がり、新たな文化が生まれた。
テキストベースのツイッターはインスタグラムを買収しておかないと大変なことになる、と二度も買収を打診したが、シストロムは応じなかった。
だが、2012年、フェイスブックが10億ドルを提示すると買収は成立した。彼が「独立性」を保証するというザッカーバーグの言葉を信じたからだ。
ザッカーバーグはインスタグラムが評価額5億ドルで資金を調達すると知り、動いたのだった。