「一度でも我に頭を下げさせし、人みな死ねと、いのりてしこと」(一度でも俺に頭を下げさせた奴ら、みんな死にますように)。
これは『一握の砂』に収録された石川啄木の一首です。啄木は、夭折の天才歌人として才能に恵まれながらも、世に恵まれず清貧に甘んじたイメージがつきまといます。しかし、実際の啄木には、引いてしまうエピソードが少なくありません。その極めつきが、本書で取り上げている「ローマ字日記」です。どのような内容なのでしょうか。
「文豪たちの憂鬱語録」(豊岡昭彦 編集, 高見澤秀 編集)秀和システム
ドタキャン、仮病、借金、放蕩三昧...
啄木は夭折の天才歌人として、坂口安吾や宮沢賢治に影響を与えました。「はたらけど、はたらけどなほ、わがくらし、楽にならざり、ぢっと手を見る」「友がみな、われよりえらく、見ゆる日よ、花を買ひ来て妻としたしむ」「たはむれに、母を背負ひて、そのあまり軽きに泣きて、三歩あゆまず」などの短歌が知られています。
啄木には「才能に恵まれながらも世に恵まれず清貧に甘んじた」「母思いの愛妻家で懸命に家族を支えた」「著名な友人に囲まれて人望家」というイメージがつきまといます。しかし、実際の啄木を知ると、「クズ男」だったのではないかと疑いたくなるエピソードが少なくないのです。
「カンニングや成績の悪さから中学を中退」「結婚式をドタキャンして借金」「嫁姑問題を放置して解決は友人に一任」「家族への仕送りを無視して自分は放蕩三昧」「遊女通いにハマって友人知人に借金しまくる」など、あげていけばキリがありません。
「ローマ字日記」の中では、妻や母、妹や娘への想いが書かれています。しかし、その一方で「浅草に通って、遊女を何人も買ったこと」「家族への送金を渋っていること」「仮病を使って会社を休みまくったこと」「それなのに会社から25円の月給を前借して、しかもその日のうちに放蕩でほとんど使いつくすこと」なども、かなり赤裸々に書かれているのです。