「我が国への西側諸国の経済制裁は失敗した」。プーチン大統領は2022年4月18日、閣僚たちを前に「勝利宣言」を行った。
たしかに一時下落したロシアの通貨ルーブルは、ウクライナ侵攻前の水準に回復しつつある。経済制裁は本当に失敗したのだろうか。
エコノミストたちの分析を読み解くと、返り血を浴びずに強かなプーチン大統領を屈服させるのは、並大抵ではなさそうだ。
資源の争奪が招く「地政学リスク」の高まり懸念
ロシアのプーチン大統領は4月18日、欧米諸国や日本などがロシアに科した経済制裁は「失敗した」と主張した。
報道をまとめると、同日、経済関係の閣僚らとの会合がテレビで中継された。その中でプーチン大統領は、ロシアの通貨ルーブルの為替レートが、ほぼウクライナ侵攻前の水準に戻ったことなどを引き合いに出し、「ロシアの経済状況は安定している」とアピールした。
そして、「西側諸国による我が国の市場にパニックを生み出す作戦は間違いなく失敗した」「彼らは、金融・経済情勢を一気に揺るがしたが、わが国は耐え抜いた」「消費者市場を人為的に規制しなかったのは正しい決定だった」などと述べたうえで、「むしろ欧米諸国の経済が悪化している」という皮肉まで口にしたのだった。
プーチン大統領がこのように強気に出ている背景は何なのか。経済制裁は「失敗」したのだろうか。
プーチン大統領が「西側の経済が悪化している」と豪語したのが正しいかどうかは別に、今後さらに制裁対象を広げると西側諸国の経済が打撃を受ける、とみるのは、日本総研の上席主任研究員西岡慎一氏だ。
西岡氏のリポート「ロシア資源の禁輸措置で西側経済は不安定化~全面禁輸なら25兆円の生産下振れ~」(4月15日付)によると、現在、欧米諸国や日本は、図表1のように、ロシア資源に制裁を科している。その対象を原油や天然ガスにまで広げると、以下の3つの懸念が生じる。
(1)資源を円滑に代替できない場合、電力や原材料の不足で強い減産圧力。試算では、ロシアから鉱物性資源や石油製品の調達をすべて停止すると、西側諸国の生産は25兆円減少(=図表2参照)。なかでもロシア資源の依存度が高い欧州で16兆円と減産圧力が集中する。
(2)資源高による所得流出が発生。禁輸措置は代替調達物の需給ひっ迫を招き、価格上昇に。昨年の資源高では、北米や豪州などの資源国を除く多くの西側諸国で交易損失が拡大、所得が海外に移転した。禁輸措置はこの傾向を助長する公算が大きい。
(3)資源調達を巡る地政学リスクがロシアから他地域に移転する可能性がある。EUでは、原油や天然ガスの主要な調達先は、内戦や紛争が多い中東やアフリカ諸国に向かう。輸入増加はこれら地域の地政学リスクを高める結果になりかねない。
つまり、紛争が絶えない中東地域やアフリカ諸国に、EU各国が資源争奪に入ることで、この地域の紛争に拍車がかかるかもしれない、というわけだ。
中国がロシアへの経済制裁の「抜け穴」に?
一方、中国がロシアへの経済制裁の「抜け穴」になっているのでは、と指摘するのは第一生命経済研究所主席エコノミストの西濵徹氏だ。
西濵氏のリポート「中国はロシアの経済制裁の『抜け穴』になっている模様~沿海部での行動制限は輸入の重石となるも、ロシアからの輸入はその影響を受けず堅調に推移~」(4月13日)では、今年3月の中国の対ロ輸入額だけが突出して増えていることに注目した。前年比プラス26.4%と高い伸びを示し、輸入全体がマイナス0.1%と減少したのと対照的な動きがみられたのだ=図表3参照。
西濵氏はこの動きの背景をこう説明する。
「輸入全体に下押し圧力が掛かっている背景には、(中略)長江デルタ地域や珠江デルタ地域を中心に新型コロナウイルスの感染再拡大の動きが広がり、サプライチェーンに悪影響が出ていることも影響しているとみられる。長江デルタ地域や珠江デルタ地域は海外貿易の要であり、これらの地域におけるロックダウンによる活動制限の長期化は今後も貿易活動に悪影響を与えることは必至と見込まれる」
ところが、ロシアとは国境が地続きだから、鉄道や陸路を活用できるのだ。
「ロシアとの貿易を巡っては鉄道をはじめとする陸路やパイプラインなどが活用されており、上海のロックダウンによる直接的な影響が及びにくいことも影響しているとみられる」
「ロシアとの貿易取引が円滑に進められれば、ロシアにとっては欧米諸国などによる経済制裁の『抜け穴』となる状況が続くと見込まれる。貿易決済を巡っては、中国人民銀行による人民元建国際銀行間決済システム(CIPS)による『抜け穴』も予想されるなど、中国が様々な面でロシアとの結び付きを強める可能性は高まっていると判断できよう」
将来、経済制裁に不満な国々がタッグを組む可能性
ロシアが「抜け道」に使っているかもしれないという、中国独自の決済システム「CIPS」の仕組みについては、公益財団法人・国際通貨研究所総務部兼事業部部長の蔵納淳一氏のリポート「【ウクライナ危機】ロシアのSWIFT排除と代替決済ネットワークについて」(4月12日付)が非常に詳しい。
図表4がそのシステムだ。詳細はリポートに譲るが、蔵納氏はロシアが制裁逃れにCIPSを使っているかどうかは、「これらの方式はあくまでも理論的なものであり、さまざまな課題がある」と、やや疑問視している。
ただし、中長期的に見ると、今回の大規模な経済制裁に不満を持つ国々がタッグを組み、このCIPSなどを中心に、SWIFT(スイフト、国際銀行間通信協会)の国際決済ネットワークとは別のネットワークを活用する方向に移行する可能性が考えられるという。
「中央銀行デジタル通貨(CBDC)を活用するということも十分に考えられる。特に中国は、北京オリンピックでも実証実験が行われた『デジタル人民元』を活用することで、人民元国際化をさらに推し進めていく可能性がある。現在、中国人民銀行は、香港、タイ、UAE の中央銀行と協働で、中央銀行デジタル通貨クロスボーダー決済の実証実験の取り組みを進めている」
ロシア中銀も、「デジタルルーブル」のプラッフォームの試験が成功したとしており、2022年中に、個人間送金や小売店での決済、金融仲介機関との連携などの試験運用を実施する予定だという。蔵納氏は、
「こうしたSWIFTネットワーク以外の決済網拡充を模索する動きは、将来的に国際決済ネットワークを二分化させ、国際通貨システムの安定を揺るがす可能性もあり、各国当局の動向を注視していく必要があろう」
と結んでいる。
対ロシア制裁の副作用に「基軸通貨としてのドルやユーロの地位が低下」
蔵納氏と同じく、今回の対ロシア経済制裁をきっかけに国際通貨システムが分断に向かい、逆に基軸通貨としてのドルやユーロの地位が低下するのではないか、と懸念するのが大和総研ロンドンリサーチセンター・シニアエコノミストの菅野泰夫氏だ。
菅野氏のリポート「対ロシア制裁が生んだロシア鉄道デフォルトの背景とその副作用 官製相場からの脱却を加速させるルーブル」(4月18日付)では、プーチン大統領はアジアの友好国にエネルギー輸出を加速させており、決済通貨も双方の自国通貨で可能とする姿勢を見せ始めている、と指摘する。
「世界のエネルギー貿易の構造変化などを理由に、決済通貨のドル離れが加速し、海外投資家(特に中東や東南アジアなどのソブリン・ウエルス・ファンド=政府系ファンド)が、米国債やユーロ圏国債の保有を敬遠するようになれば、基軸通貨としての地位は加速度的に危うくなる」
菅野氏は、とくに中東や東南アジアの政府系ファンドの間に、決済通貨としてドル・ユーロを持つと、ロシアのように資産凍結などの制裁ツールに利用されることを敬遠する動きが広がっていると指摘するのだ。だから、
「対ロシア制裁の副作用は、エネルギー価格高騰を受けた生活苦に直面する国民が急増することだけでなく、基軸通貨としてのドルやユーロの地位が低下することに、多くの国が気づいたことにあるともいえるだろう」
と、結ぶ。
つまり、経済制裁でロシアに勝っても、西側のドルやユーロ圏にとって将来、大きな代償を払わされることになりそうなのだ。
(福田和郎)