大学卒業式「心に響く学長の挨拶」はコレ! 会社ウォッチ編集部が独断で選ぶ珠玉の言葉の数々【4:人生に哲学を持とう編】

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   2022年3月、多くの大学で卒業式が行われて、卒業生たちが巣立っていった。

   コロナ禍、ウクライナ危機という未曽有の歴史の大転換のさなか、それぞれの大学の学長・総長たちは、社会の荒波に飛び込んでいった教え子たちにどんな激励のエールを贈ったのか。

   どう社会と向き合い、どうやって生きていくか。教え子たちを思う熱情にあふれた言葉の数々。J‐CASTニュース会社ウォッチ編集部が、独断で選んでみた。

  • 学長・総長たちが卒業生に贈った言葉とは(写真はイメージ)
    学長・総長たちが卒業生に贈った言葉とは(写真はイメージ)
  • 学長・総長たちが卒業生に贈った言葉とは(写真はイメージ)

一生かかってようやく解ける「宿題」がある

「心に響く学長の挨拶」シリーズ
▼大学卒業式「心に響く学長の挨拶」はコレ! 会社ウォッチ編集部が独断で選ぶ珠玉の言葉の数々【1:平和への願い編】
▼大学卒業式「心に響く学長の挨拶」はコレ! 会社ウォッチ編集部が独断で選ぶ珠玉の言葉の数々【2:とらわれない視点編】
▼大学卒業式「心に響く学長の挨拶」はコレ! 会社ウォッチ編集部が独断で選ぶ珠玉の言葉の数々【3:君たちはどう働くか編】

   大学を卒業して社会に出れば、「生き方の羅針盤」が必要になるだろう。ちょっと難しく言えば「哲学」ということになるだろうか。やわらかい、しなやかな言葉で、噛んでふくめるように教え子たちに諭す学長が多かった。

   愛知淑徳大学の島田修三学長は、現代詩人・辻征夫(つじ・ゆきお)の『萌えいづる若葉に対峙して』という晩年の詩集から「宿題」という作品を選んで、2回も朗読して聞かせたようだ。こんな詩だ。

愛知淑徳大学 島田修三学長(公式サイト:学長室より)
愛知淑徳大学 島田修三学長(公式サイト:学長室より)
すぐにしなければいけなかったのに
あそびほうけてときだけがこんなにたってしまった
いまならたやすくできてあしたのあさには
はいできましたとさしだすことができるのに
せんせいはせんねん(注:先の年)としおいてなくなってしまわれて
もうわたくしのしゅくだいはみてはくださらない
わかきひに ただいちど
あそんでいるわたくしのあたまにてをおいて
げんきがいいなとほほえんでくださったばっかりに
わたくしはいっしょうをゆめのようにすごしてしまった

   そして、島田学長はこう語りかけた。

「一読すると、小学生時代に大好きだった先生と、遊びに夢中になって、ついその先生に宿題を出し忘れた後悔をずっと後になって噛みしめているような作り方をしています。(中略)私はこの詩を少年時代に限定しない、もっと広い年齢の範囲で味わっています」

「私にも敬愛する大学のゼミ教授がおりました。昨年、何十年ぶりかで先生と電話でお話をすることが出来ました。先生の声はすっかり年老いておられましたが、私は非常に懐かしく、嬉しかった。しかし、心のどこかに、わずかに後ろめたいものも感じていました。これが辻さんと同じ感覚だったと思います。つまり、先生に宿題を出し忘れているような感覚です」

   この「宿題を出し忘れているような感覚」をもう少しかみ砕いて、こう続けている。卒業生へのメッセージだというのに、「学ぶ」とはどういうことなのか、あらためて考えさせられる。

「キャンパスを去っていく皆さんにも、皆さんを親身に指導なさった先生がたから無言の宿題が出ているはずです。本や資料を少しずつ読んで解いていくような宿題かも知れませんし、一生かかってようやく解けるような難しく深い課題かも知れません。それ以上は、皆さんひとりひとりが心の中で絶えず自問自答してください」

「どうか良心に恥じぬ生き方を貫いてください」

   同志社大学の植木朝子学長は、昨年(2021年)8月に谷崎潤一郎賞を受賞した、作家・金原ひとみ氏の『アンソーシャル ディスタンス』という短編小説を紹介した。この小説は、パンデミックで閉塞する世の中で、生への希望だったバンドのライブ中止を知り、心中することを決めた若い男女の旅を描いた物語だ。

同志社大学 植木朝子学長(公式サイト:学長からのごあいさつより)
同志社大学 植木朝子学長(公式サイト:学長からのごあいさつより)
「登場する恋人たちは、大学4年生と3年生で、コロナ禍において、授業受講やゼミ活動、卒論作成や就職活動を何とかこなしていますが、自由を奪われ、抑圧され、コロナに翻弄されることに耐えきれず、最後の心の支えとしていたバンドのライブ公演中止をきっかけに絶望を深め、心中の旅に出ます。道中で2人はさまざまなことを考えます」

「コロナは世間に似ている、人の気持ちなんてお構いなしで、自分の目的のために強大な力で他を圧倒する、免疫や抗体を持ったものだけ生存を許し、それを身に付けられない人を厳しく排除していく......、感染に対して神経質な人とそうでもない人の間の激しい対立にはうんざりする......(中略)。私たちにはまだわからないこと、知らないこと、知っていても実感できていないことがたくさんある、こんな卑小な自分のままで死んでいくのか......。この恋人たちの苦悩には、コロナ禍を過ごした皆さんの多くが、共感されるのではないでしょうか」

   そして、「青春」を切り口に、植木学長のメッセージは続く。

「昨年11月の同志社EVE(大学創立記念行事週間)のテーマは『青春奪還』でした。このテーマには、コロナウイルスの影響で失われた青春を、EVEを通じて取り戻してほしいという願いを込めたとの実行委員長の言葉に私は胸をつかれる思いがしました。ご紹介した小説の中の二人のように、時に絶望し、時に嘆き悲しみながら、皆さんは困難な状況の中で懸命に生き、それがそのまま『青春奪還』の軌跡であって、本日を迎えられた皆さんの青春は決して失われていないものと信じます」

「コロナ禍により、社会の分断や不寛容の問題が顕在化した今こそ、そして、痛ましい戦禍によって大勢の人々が苦しんでいる今こそ、本学の良心教育の真価が問われています。(中略)卒業後、それぞれが赴かれるそれぞれの場所で、どうかその良心に恥じぬ生き方を貫いてくださいますよう、心から願っています」

「幻想が崩れることを引き受け、新しい真実を発見する」

   国際基督教大学(ICU)の岩切正一郎学長は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の中の第6編『逃げ去る女』の中の一節を引用しながら、生きるということは、真実の発見の連続なのだと説いた。

国際基督教大学(ICU) 岩切正一郎学長(公式サイト:学長室より)
国際基督教大学(ICU) 岩切正一郎学長(公式サイト:学長室より)
「みなさん一人ひとりは、リベラルアーツ(一般教養)という土に蒔かれて、豊かな実りを得る人へ育ちました。そして同時に、リベラルアーツという種は、みなさんのなかに蒔かれたからこそ、何倍もの実りをもたらすのです。

ICUに入学する前、みなさんは、自分の学生生活をどのように想像していたでしょうか。私が時々ページをめくる小説のなかに、こんな箇所があります。主人公は、海岸の保養地へ行く前に本を読んだり人から話を聞いたりして、想像をふくらませています。実際にそこへ行ってみると、夢みていたものはありませんでした。語り手はこう言っています。

なるほど、あのように長いこと行きたいと思っていたこのバルベックでは、夢みたようなペルシャふうの教会も、永遠に晴れることのない霧も見出せなかった。[略]汽車にしても、私の思い描いていたようなものとは違っていた。しかし、想像力が期待させるもの、私たちがさんざん苦労しても発見できないもののかわりに、人生は想像もしなかったものを与えてくれる。
プルースト、『逃げ去る女』(鈴木道彦訳)」

   そして、こう続けたのだった。

「もし想像力や期待があらかじめなければ、この人物は、その場所へは行きませんでした。だから、想像力が否定されたわけではありません。けれども、世界の多くの偉大な作品も同じことを教えているように、生きるというのは、いったんその幻想がくずれることを引き受け、そのなかから新しい真実を発見する営みなのです」

「ICUでの生活は、みなさんに何を与えたでしょうか。嬉しいこと、悲しいこと、戸惑わせること...それら全てが、最後には、みなさんの人生を豊かにするかけがえのない経験となっていることを願っています」

   もう少しわかりやすい例を出して「人生哲学」を語ったのは、愛知東邦大学の鵜飼裕之学長だ。哲学者で、京都市立芸術大学学長の鷲田清一氏の「ものを見極める心眼」をひきあいにして紹介した。

愛知東邦大学 鵜飼裕之学長(公式サイト:学長挨拶より)
愛知東邦大学 鵜飼裕之学長(公式サイト:学長挨拶より)
「世界の急速な変化を見定め、その価値を見極める『心の眼』をもつことです。すなわち、ものごとを自ら判断するうえで、皆さんの心に確かな判断基準を備えておくことです。(中略)鷲田清一先生は、それを『価値の遠近法』という言葉で表現しています」

   これを踏まえて鵜飼学長は、どんな状況にあっても、次の4つを見極められる判断基準を持っていれば、対応できると語っている。

「1つ、絶対なくしてはならないもの、あるいは見失ってはならぬもの。2つ、あってもいいけどなくてもいいもの。3つ、端的になくていいもの。4つ、絶対にあってはならないもの。(鷲田先生は)『この4つを見分けられる判断力を身につけておくことが大切である』とおっしゃっています。その『心の眼』を養う術(すべ)が教養であり、哲学だと思います」

ごろ寝する猫の「哲学的生き方」に学ぶ?

   「哲学」といえば、驚いたことに「猫の哲学」を披露したのが、茨城大学の太田寛行学長だ。

   イギリスの政治哲学者、ジョン・グレイの著作『Feline Philosophy, Cats and the Meaning of Life』(翻訳書のタイトルは『猫に学ぶ、いかに良く生きるか』、鈴木晶訳、みすず書房)を取りあげて、こう語ったのだ。

茨城大学 太田寛行学長(公式サイト:学長メッセージより)
茨城大学 太田寛行学長(公式サイト:学長メッセージより)
「猫をめぐって、ギリシャの哲学から谷崎潤一郎の小説までも語りきる内容は壮大です。みなさんは、猫と人間の哲学の間にどんな関係があるのか?と思うかもしれません。そこで、私が考え込んだ1節を紹介します。

『人間の人生は価値によってランク付けされるのではなく、他の動物の良き生活は、人間生活により近いことを意味するわけではない。個々の動物、個々の生物には、それぞれ独自の良き生活があるのだ』

この1節から、私は、人間というものは、社会の未来だけでなく、自分自身の未来や人生の物語を思い描き、その物語の価値を他者と比べてしまうこと、またある時は、高名になった人たちが語る理論や手引きをまねて生きれば、人生の価値が上がると思い込んでしまうこと、そういう特性があるように思いました。ところが、そのような行為は、自らを翻弄するものかもしれません」

   太田学長自身、わが家の猫を見ていると、悩むことなく、食事とトイレ以外は箱の中で寝ていて、淡々と、持ち合わせた個性に従うままに生きているように思える、と述べた。猫の生き方は、この本によれば、17世紀オランダの哲学者のスピノザが提唱する「コナトゥス」という概念と結びつけられるという。説明がこう続く。

「『コナトゥス』とは(中略)『自分の存在を維持しようとする力』とあります。私の解釈では(中略)『自分という個性を維持する』ことだと思います」

「みなさん、もう一度振り返ってください。大学や大学院の卒業・修了に当たって、みなさんの『もっと沢山のことを、もっと幅広く、そしてもっと深く知りたい』という欲求はある程度満たされたと同時に、まだ物足りないとも感じているはずです。豊かに膨らみ続ける知的欲求、それは、社会に出てからも続く、終わることのない自然な欲求です。私は、それが人間の『コナトゥス』だと確信しています」

   そして、最後にこう結んだのだった。

「『コナトゥス』はみんな同じではなく、人それぞれの個性があるはずです。みなさんが持ち合わせた様々な個性で生きること、そのひとりひとりの生き方には、優劣はなく、(中略)完全・不完全という区別や差別もありません。みなさんが今生きている自分の人生を、どうぞこれからも大事にして下さい」

   我が家でゴロ寝している猫からここまでアツク論じられると、むしろ卒業生たちも「哲学」を身近に感じたことだろう。

(福田和郎)

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