人間を救うために火を盗んだプロメテウスの悲劇
デジタルをはじめとする先端技術が席巻する社会とどう向き合っていけばよいのか――。東京大学の藤井輝夫総長は、応用マイクロ流体システムが専門の工学者らしく、話題はAI(人工知能)、ロボット、遺伝子組み換え技術、生殖補助医療...と多岐にわたった。その中で、意外にも藤井総長が強調したのが、ギリシア神話のプロメテウスの逸話だった。ここから、デジタルの話題へとどう展開していくのだろうか、見ていこう。
「はるか昔のギリシア神話に暗示的な逸話が記されています。プロメテウスという神は天上にあった火を寒さに苦しむ人間に与えたことで、ゼウスによってカウカソス山に鎖でつながれ、毎日、鷲に肝臓をついばまれることになります。この『火』は技術の象徴とも捉えられ、人間に幸せをもたらすだけでなく、争いや災いを生じさせます。
つまり、プロメテウスの悲劇は、自分の行動が及ぼす悪影響に思いが至らなかったことへの罰として解釈され、自分が生みだしたものが、後にどのような影響をあたえるか、といった視点なくしては、良かれと思った行ないそれ自体によって未来永劫苦しむことになるという警告になっているのです」
そして、この逸話を前置きとして、現代はテクノロジーの恩恵を享受している社会に目を向けて、こうも警鐘を鳴らした。
「社会全般に目を広げれば、テクノロジーを使う、つまり、ある技術を享受することには費用が伴います。デジタル機器を入手するときだけでなく、生殖補助医療を利用する際にも経済的なコストが生じ、それが負担できるかどうかで、先進的な技術を享受できる人とそうでない人の差を生みだしかねないのです。
今日で言えば、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種率の地域間格差の問題にも通じています。技術の利用を望みつつも経済的な理由で、その恩恵から排除されてしまう人たちを、どのように包摂するかという視点も忘れてはならないでしょう」
そのために必要なのは「さまざまな声に謙虚に耳を傾け、『対話』を継続していくこと」である。そのうえで、卒業生たちに
「大学を卒業することで学びは終わるわけではありません。まだ解決されていない課題は多くあり、みなさんはこれからも数々の未知なる問いに出会うことでしょう。大学を卒業して社会に出る方、そして大学院に進学される方いずれも、そうした問いについてともに考え続けてくれることを願っています」
と呼びかけたのだった。
(福田和郎)