「さんさ踊り」が繋ぐ岩手との絆 感謝の思い込めて舞う日を待つ【震災11年 あしたへ】

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コロナ禍でイベント中止 活動再開に気持ち合わせ

第41回日本橋・京橋まつり 大江戸活粋パレードにて(2013年10月撮影)
第41回日本橋・京橋まつり 大江戸活粋パレードにて(2013年10月撮影)

――コロナ禍で人流が抑制されるイベントは多くが延期や中止を余儀なくされました。また、観光業は大打撃を受けました。大江戸さんさの活動にも影響があったのではないでしょうか。

長谷川さん「この2年間は、パレードはもちろん、首都圏でのイベントはことごとく中止となり、出番はまったくない状態が続いています。練習会もほとんど開催できず、活動らしい活動はできていません。焦りやもどかしさを感じることもありますが、今は仕方ないと割り切って、来る活動再開の日に備えています」

――東日本大震災から11年に経ちました。この11年間を、どのような思いで活動を続けてきたのでしょうか。

長谷川さん「感謝の思いに尽きます。この11年間にたくさんの方々との出会いがあり、そのおかげで、今の私たちがあります。被災していない私たちに何ができるのか、私たちが踊るさんさ踊りが何の役に立つのか、悩んだり迷ったりした時期もありました。しかし、たくさんの方に背中を押していただいたおかげで、ここまで活動を続けることができました。だから、これまでも、これからも、たくさんの感謝と、岩手への想いを胸に踊っていきたいと思っています」

――あらためて、岩手県への震災復興とさんさ踊りへの思いを教えてください。

長谷川さん「岩手が、さんさ踊りが、「大好き」のひと言に尽きます。大好きだからこそ、一人でも多くの方にその魅力を伝えたい。被災されたみなさんが笑顔で暮らせるようになってほしい。これからもさんさ躍りを通じて、岩手のPRを続けていきたいと思っています」

【プロフィール】
長谷川 淳(はせがわ・あつし)

大江戸さんさ代表

小さい頃から神輿やお囃子などの地元の祭りに親しみ、高校生の時には獅子舞(笛)に興じる。東京で鉄道総合技術研究所に就職後、2005年4月から2年間、出向で盛岡に滞在。その時の会社の上司に勧められて、盛岡さんさ踊りに参加。その楽しさに魅了された。
2007年に帰京後、SNSを通じて知り合った仲間数名とともに「大江戸さんさ」の立ち上げに関わる。その後、初代の代表から代表職を引き継ぎ、現在に至る。
福井県出身、46歳。

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