アフターコロナ時代の会社経営...「死の影」身近だった戦前社会にヒントあり!

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   かつて、私たちの生活に「死」がより身近な世界があった。本書「感染症と経営」(中央経済社)は、戦前の日本社会で「死の影」に労働者・消費者・株主がどのように行動したのか。それに対して、企業がどう対応していったかを振り返り、コロナ後の経営のあり方を検討している。

「感染症と経営」(清水剛著)中央経済社

   著者の清水剛氏は東京大学大学院総合文化研究科教授。博士(経済学)。専門は経営学、経営史学、法と経済学で、企業システムおよび企業経営と法制度の相互作用に関する研究を行っている。

   最初に過去を振り返り、新型コロナウイルス感染症と比較しながら、戦前の日本社会においてスペイン風邪がどのようなインパクトを持ったのかを検討している。

   スペイン風邪の流行は第一次世界大戦中の1918年に始まり、1921年に終息したとされる。世界では数千万人の死者を出した。日本での死者は第一波で26万人、全体で約40万人だった。

   人口1000人当たり死者数を比較して、スペイン風邪の第一波は、現在の新型コロナウイルス感染症で苦しむヨーロッパや米国の約2~4倍、日本の約50倍の影響があったと推測している。

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戦前の日本を覆った「死の影」

   当時の人々はスペイン風邪のみが原因で亡くなったわけではない。全体の死亡率も比較している。結核の死亡率も高く、スペイン風邪の流行のピークよりは少ないが、新型コロナウイルス感染症によるヨーロッパでの死亡率より多い。

   こうしたことから、戦前の日本社会は、スペイン風邪のみならず、結核を含むさまざまな感染症による死に日常的にさらされていた社会だったと見ている。

   死が身近な社会だったことは、当時の歌謡曲や小説にも表れていた。例として、「いのち短し 恋せよ乙女」のフレーズで知られる「ゴンドラの唄」などを紹介している。死を前提として、人々は生きていた。

   そうすると、人々の対応は二つに分かれた。1つは、将来の不確実性を考えて支出を減らし、貯蓄をしようとする人々。もう1つは、一部の成金に見られたように自己の満足のためにお金を使い切ろうとする人々である。さまざま例を挙げている。

   そして、新型コロナウイルス感染症が社会にもたらした大きな衝撃は、これまで直面してこなかった(あるいは直面していないと思っていた)「死」というものが、実は思ったよりも身近にあることを示したことである。

   日本の検査陽性者に対する死亡者の割合は、1.2%程度だ。だが、タレントなどが亡くなり、誰もが死を身近に感じるようになった。死に至らなくても、経済的な打撃を受けることもある。「コロナ後」の社会は戦前の日本社会に近い、と結論づける。

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