作家で元東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなりました。昭和を代表する、いやこのうえなく昭和な「昭和人」リーダーでした。SDGsの浸透やコロナ禍で急速にニューノーマルの進展が加速する流れの中での石原氏の訃報は、ひとつの時代の終焉を象徴するかのようで、同じ昭和の「戦後」を生きた一人としてある種の感慨をもって受け止めました。
昭和を駆け抜けた経営者たちとの共通点
このうえなく昭和な「昭和人」と申し上げたのは、何より氏のキャリア形成にあります。学生時代に作家として文壇デビューし、芥川賞作家という肩書を礎に、さまざまな形で独自の言論を展開しつつ政界に打って出る、というあまりに美しい戦後日本的「出世」の構図がそこにありました。
当時は知的エリートにのみ開かれた言論の世界での活躍を活用し、世襲というツテなしで政治の世界に登場するというある種の離れ技。戦後の日本において圧倒的に支持された氏の人気は、「国民的人気俳優の兄」という側面もあったでしょうが、それ以上に昭和の「ジャパニーズドリーム」を体現したそのキャリアにあったように思います。
氏の「独善的」で「言いたい放題」な姿勢も、戦前、戦中の言論統制に対する反骨という観点からは、至って戦後日本的であったと言えます。今から10年ぐらい前までは、昭和世代の企業経営者にも同じようタイプの方がたくさんいたと記憶しています。
ハラスメントもコンプライアンスも、その概念自体が存在しなかった昭和の世の中。国際的な批判でも浴びるようなことがない限りにおいては、周囲も世論も多少の行き過ぎた発言や行動でもやり過ごしてきた、そんな時代でした。私が間近で見てきた昭和の「独善的」経営者たちもまた、そんな時代を背景にして昭和、平成の時代を生き延びてきたと言えるでしょう。