2021年度の補正予算が成立し、過去最大となる2022年度予算が閣議決定されると、財政拡大に対する議論が喧しくなっている。そこで、財政拡大を巡る議論を検証してみたい。
まず、言っておきたいのは、「財政『健全化』推進派」と「財政『積極化』推進派」の議論を見ていると、いささか感情的な議論が目に付くということだ。
「財政破綻の危険性」主張する健全派に対し、積極派の批判は?
前者の「健全派」は、学者やエコノミストなど学識経験者が多い。これに対して、後者の「積極派」は、ニューヨーク市立大のステファニー・ケルトン教授が提唱したMMT(Modern Monetary Theory:現代貨幣理論)を中心とした主張が多いが、なかには反論とは言えない「誹謗中傷」に近い主張も目立つ。
たとえば、財政健全化の主張に対して、「旧石器時代の議論」などはまだしも、「MMTが理解できないほどの馬鹿」「こういう連中が日本を悪化させている」等々、口汚い言葉を投げつけている。
きちんとした議論をせずに「誹謗中傷」しかできないのであれば、所詮は「負け犬の遠吠え」としか受け止められないだろう。
さて、本論に入ろう。財政健全化の必要性については、これまでも言われ続けてきたため、今回は「積極派」の考え方を検証したいと思う。
積極派の考え方はMMTを中核に置いたものだ。その根幹は
「自国通貨を発行している国は、自国通貨建ての国債であれば、政府は自由に資金を調達する(紙幣を増刷する)ことができるため、財政破綻は生じない」
というものだ。
「財政破綻の危険性」を主張する健全派に対して、積極派は
「何十年も財政破綻の危険性が言われてきたが、その間も国債発行額は増加し続けている。それでも、破綻の兆候すらない。健全派は単なる嘘つきだ」
という批判を頻繁に目にする。
この点に関して言えば、理論的には積極派の主張が正しいだろう。
財政破綻の兆しは見えないし、日本の場合は「円」という自国通貨で国債を発行している。その保有者のほとんどは日銀や国内の機関投資家だから、国債増発による影響のほとんどは国内にとどまり、償還資金も紙幣を増刷すれば済む......。
だが、事はそう単純ではない。
積極派に多い主張は、現在、日銀が進めている大規模金融緩和策・低金利政策を引き合いに出して、
「発行された国債のほとんどは日銀が買い入れているのだから、国債の消化に問題は発生しない。日銀が国債を購入することで、政府の資金繰りも付く」
と主張する。さらに、
「国債の償還期限がきたら、新規に国債を発行して、その資金を償還に充てる借換債の発行を繰り返せばいい。つまり、国債は無期限に償還しなくて済む」
という意見も多い。こうした考え方は、正しいと言えるのだろうか?
「国債は無期限に償還しなくともよい」主張の是非は?
まず、基本的なことから指摘すれば、発行される国債を直接日銀が購入することは「財政ファイナンス」として、財政法で禁じている。これは、世界のほとんどの国も同様だ。
したがって、日銀が国債を購入するとしても、一度は必ず国債市場を通過することになる。現在のように、国債金利が上昇しないのは、日銀の低金利政策によるものだ。そのため、国債発行額が増加し、市場原理が正常に機能していれば、金利は上昇する。
果たして、財政積極化による国債増発を続ける中で、いつまでも市場原理の働かない国債市場を放置し、金利の上昇を抑え込んでおくことができるのだろうか。
また、国債の償還にあたって、借換債を発行して先延ばしすることは、現在でも行われている。しかし、これにはルールがあり、国債は60年で償還しなければならない。10年国債であれば、借換債の発行は最大5回までということになる。
したがって、「無期限に償還しなくともよい」という主張は間違っている。無期限に償還しなくて済むようにするためには、ルールを変更しなければならない。
この問題に関連して、積極派からは、
「借換債の発行ができるため、先進国のほとんどは予算に国債の償還費は計上しておらず、国債の利払い費だけを計上している。日本は国債費に償還費と利払い費を計上している。借換債の発行により償還を先延ばしするのだから、他の先進国と同様に利払い費だけを計上すればいい」
との指摘もある。
この考え方には一理ある。だが、国債を増発すれば、必然的に利払い費は増加していく。借換債を利用しても、60年ルールがある以上は国債の償還は到来する。また、その間に無制限に国債を増発すれば、償還費と利払い費が増大していくことは間違えない。
つまり、予算に計上するか、しないかは表面的な問題であり、潜在的に国債の償還費と利払い費が増加することに変わりはない。
そこで、積極派から出てくる切り札が、
「紙幣を増刷することで国債の償還費や利払い費を賄えばよい」
とする考え方だ。
さて、では、MMT理論は本当に実践可能なものなのだろうか。これについては次回、検証していこう。