江戸幕府が270年もの長期政権を保てた理由は何か?
それは「神君」家康の貯蓄や投資などの財テクにありました。
家康は莫大な石高を誇り、かなりのお金を貯め込みましたが、それは信長も秀吉も同じ。では、なぜ家康だけが長期政権を築くことができたのでしょうか?
家康は、合戦を極力すぐに終わらせるなど、非常にコスト・パフォーマンスにすぐれた武将だったのです。
家康の経営戦略 国づくりも天下泰平もカネ次第(大村大次郎著)秀和システム
なぜ江戸では紛争や戦乱がなかったのか
江戸時代になると、紛争の類・戦乱、がほとんどなくなりました。江戸時代260余年のあいだに起きた紛争というと「天草の乱」「大塩平八郎の乱」くらいです。なぜ江戸時代は、ほかの武家政権時代に比べて突出して平和だったのでしょうか。
その大きな要因の一つが財政力です。徳川家康の開いた江戸幕府はほかの武家政権時代に比べて突出して財政力が強かったのです。家康が江戸幕府を開いたとき、幕府の直轄領だけで400万石あり、徳川家勢力全体では800万石もありました。
土地以外の資産を見た場合も、江戸幕府は相当に大きく、日本の主要な鉱山・港のほとんどを直轄にしていました。信長も秀吉も、日本の主要鉱山や港をかなり押さえていましたが、家康ほど包括的に押さえていたわけではありません。
また、江戸幕府は、大きな利益をもたらす南蛮貿易も独占しています。江戸幕府の財政力というのは、ほかの武家政権を圧倒していたのです。この圧倒的な財政力は、やがて軍事力にも反映され紛争抑制につながります。
結果的に、江戸幕府に対抗できる軍事力を持つ勢力は幕末まで現れませんでした。そのため戦乱や紛争もほとんど起きなかったのです。ところが、いくつかの疑問が湧いてきます。いかにして、家康は、この莫大な財政力を持つことができたのか? という点です。
この点について、著者の大村大次郎さんは次のように解説します。
「家康は、日本全国の大名を、戦によりねじ伏せたわけではない。家康は、戦国武将の中でも戦上手として知られてはいた。が、戦争の強さから言えば、信長、武田信玄、上杉謙信など、猛者はいくらでもいる。彼らの前では、家康は脇役に過ぎなかった。家康が、莫大な財政力を持ち得たのは『異常に効率的な戦略』のおかげだと言える」
ビジネスにもつながる忍耐力と判断力
さらに、大村さんはこう続けます。
「ざっくり言えば『敵が強いときには決して争わず平伏し続け、敵が弱ったときに一気に叩く』のである。敵が強いときにこれを倒そうとすると、多大な費用・労力がかかる。だから、家康は極力そういうことはしなかった。それが、ほかの名だたる戦国武将と大きく違うところである」
なるほど......。家康の忍耐力と判断力は、幼少期からの過酷な体験が培ったものだと言われています。家康は、物心つかないときから母親と生き別れし、人質として他国に送られました。周辺勢力のパワーゲームに翻弄され、親戚に売られるということも経験しています。そういう過酷な少年時代の中で、人間観察、状況判断の能力を磨いてきたのでしょう。
これはビジネスパーソンにとって大いに参考になる示唆です。現在、理不尽な処遇に怒りを覚えている人はいませんか。不遇をかこっている人もたくさんいるいるでしょう。しかし、誰にでもチャンスは巡ってきます。
そのチャンスが来るまで、地道に自分を磨いておく、状況分析も欠かさずにおこなっておく。そして、チャンスが来たときに果敢に行動していくことが必要なのです。新年度を迎えるにあたり読んでおきたい一冊です。
(尾藤克之)