電力消費地のすぐ近くに簡便に設置することができる火力発電と、勾配のある川の上流、つまり山奥での大がかりな土木工事を必要とする水力発電とではどちらが大変か――。それは小学生でもわかるだろう。
火力は化石燃料を買い続けなければならないが、水力発電となると莫大な初期投資が要る。明治・大正の日本といえば近代文明に目覚めたばかりの発展途上国であり、資本の蓄積が薄く、いくら日本は水資源が豊富といっても、水力発電などは「絵に描いた餅」も同然であった。特に人工湖を出現させるダム式となると、先進国の欧米並みの巨大資本がなければ実現不可能だったのである。
水力発電は国・県・市町村のすべてで許認可が必要だった
技術もなかった。当時の大井ダム(岐阜県恵那市)建設の目撃者証言によると、山を切り崩すような大型機械は日本中どこを見回してもなく、よしんば輸入したとしても工夫たちは、その使い方を知らず、相変わらず手掘りで、その横で高価な輸入機材はいたずらに錆びている、という具合であった。
しかも、世は石炭の黄金時代であった。俗に石炭党と呼ばれる一大勢力が絶大な政治力を有し、陰に陽に水力認可に抵抗した。電力事業は認可が必要であったが、とりわけ水力発電は国・県・市町村の全段階で官庁の許認可を得なければならなかった。加えて、住民相手の水利権交渉も至難であった。
そこへもってきて当時の電力消費といえば、照明のための電灯が主力であって、電力を動力として用いる産業はいまだ育っていなかった。そもそも水力発電を必要とするような大型需要がなかったのである。
当時の国の考えは護送船団方式と呼ばれる保護主義で、需要がないのに認可をおろすと、過当競争に陥って電力事業そのものがつぶれてしまうという見解が大勢を占めた。水力か火力か。そんな論争はいわずもがなであった。必要な分ずつ必要な場所に、臨機応変に火力発電所を作っていけばよいではないか。それが圧倒的な意見であった。
このような情勢に切り込んでいったのが福澤桃介である。「水力をもって国是とすべし」。それが桃介のゆるがぬ信念であった。実際、すべての困難をクリアして日本初のダム式水力発電「大井ダム」を出現させたのである。
それだけではない。火力から水力へ。日本中にその機運を巻き起こした。資本はどうしたのか。国中の資金を集めても足りないところを外債というマジックを用いた。裕福なアメリカの民間人に電力会社の社債を買ってもらって資金を作ってみせたのだ。
桃介が水力発電で安い電力を供給し始めると、化石燃料の高騰もあって火力は競争で太刀打ちできなくなった。日本中の電力会社が桃介に倣うしかなかった。資本の集め方から設計技術、大型機材の使い方に至るまで。こうして桃介は「食べられる餅」を日本中にバラまいたのである。
「日本は火力ではなく水力を基軸にすべし」
日本は火力ではなく水力を基軸にすべし。大正5(1916)年から大正13(1924)年にかけて、福澤桃介は政府を相手に死に物狂いの論争を展開している。逓信大臣をはじめとする政府首脳に宛てた多くの書簡が遺されている。その中に「大阪送電と大阪の煤煙」という論稿がある。
桃介は明治34(1901)年から大正元(1912)年までの、大阪・東京・名古屋の三大都市における乳児死亡率の統計表を示し、水力主流の名古屋と火力主流の大阪では運泥の差があることを立証した。東京はその中間である。
以下引用。
「工場の煙突から吐き出す煤煙は大阪市民を毒殺しつつある。この表を見よ。この数字によれば、大阪は明治39年以前には常に死亡超過を見、その後も出生超過率が他市と比べ、はるかに劣等であるあることがわかる。上下水道その他衛生設備は東京、大阪に比べて遜色なく、しかも気象の激変も少ないにもかかわらず、このように悲惨な数字を示すのは、大阪市及び付近における工場の煙突から吐き出す煙突が大きな原因としか考えられない。...... 煙突の最も少ない名古屋の出生超過率が最も優秀である事実は煤煙が人類を毒殺しつつあるよい証拠である」(出典:「福澤桃介論策集解題 天馬行空大同に立つ」藤本尚子著)
大正5年(1916年)5月に、すでにこのような見識を示している。公害が表面化して、いわゆる環境問題が取り沙汰されるようになったのは1960年以降である。桃介の先見の明に目を見張らざるを得ない。
火力発電の採用「軽々しく見過ごすことのできない現象」
もう一つ見てみよう。大正14年(1925年)6月に大蔵大臣の濱口雄幸氏と逓信大臣の安達謙藏氏に宛てた桃介からの「火力発電計画不可意見書」である。
「水力はわが国における天与の富源であるから、これを応用する電力は、石炭の乏しいわが国の前途に対し、いささか意を強くするものであることは、いまさら言うまでもないところです。ところが最近、水力電気に代えて火力電気を採用しようとする傾向が次第に増大して、現に東京においては40万キロワット、大阪において20万キロワット分を設置する計画が実施されようとしています。これは実に国家経済上の一大問題であって、軽々しく見過ごすことのできない現象であります。いまこのように厖大な企画が行われようとする原因を考察すると(1)石炭価格が低下したこと(2)3万キロワット、もしくは4万キロワットというような大きなユニットのスチームタービンが市場に出まわったこと(3)昨年の冬、十数年来、かつて経験したことのない渇水の天災に遭遇したこと......」
桃介は、(1)についてはその後石炭価格が高騰したこと、(2)については、スチームタービンは古くなると能率が低下し、遂には廃棄にいたること(3)については川の最上流に流量調整のための貯水池を設けることで解決するとして反論した。
さらに水力の工事費用は工夫の賃金などで、国内に還流するが、火力の場合、機械購入費など、建設費の大部分が海外に流出してしまうと嘆いている。このようなとき桃介の頭にあるのは「国益」という観点である。原料であれ機械であれ、必要なものは極力国内で生産するというのが桃介の基本姿勢であった。
この国家経済観をSDGs(持続可能な開発計画)に鑑みると、地産地消という概念につながる。今の日本では「外国から買ったほうが安い」などという言葉を企業家どころか政治家までもが平気で口にする。どんなものでも地産したほうが輸送に要するエネルギー資源を使わないから、地球のリソースを節約することにつながる。しかも、地元に雇用を生む。
そういう発想が桃介にはあったが、現代の政治家にはない。だとしたら、これはいささか問題ではないだろうか。(藤本尚子)
プロフィール
藤本尚子(ふじもと・ひさこ)
大阪大学外国語学部卒業後、社長秘書として、ドイツ系企業の日本総代理店に就職。すぐにフリーランス翻訳士として独立。1982年に文芸誌より作家デビュー。そのかたわら金融理論で修士号を取得。コラムニスト、エッセイストとして、コピーライター業界で、主にコンテンツライターとして活動。福澤桃介と貞奴の研究者として知られるようになった。社団法人日本作詩家協会の会員でもある。
主な著書に、「天馬行空大同に立つ 福澤桃介論策集解題」(世界書院)、「マングース族の決闘」(いずみ書房)がある。