女にうつつをぬかした隊長
兼相は橙武者という嘲笑を受けながらも、冬の陣の後も大坂城に残ります。講和によって堀を埋められた大坂城は裸城となり、豊臣方の重臣たちの多くが幕府方に寝返って城を撤退していました。そのため、当初は十万人いた城兵もだんだんに逃げてしまい、夏の陣のさいには、半数近くに減っていました。
豊臣氏を待っているのは、勝ち目のない戦です。そうした現状を知りつつも、なぜ、兼相は城内に踏みとどまったのでしょうか。河合さんは次のように分析しています。
「それは、純粋に豊臣秀頼に対する忠義心からなのか――。私は、そうではないと思う。この男は、次の戦いで、自分の汚名を返上できることだけを切望して、城内に残留したのだと考える」(著者の河合敦さん)
「自分の雄姿を世間に知らしめ、博労淵での汚名を晴らそうとしたのであろう。この男には、己の生命より名誉回復のほうが、ずっと大切だったのである。絶望的な戦いにあえて立ち向かってゆくことで、彼らは自分の名が後世に残ると信じたのである」
河合さんは、そう続けます。
その後、10万に膨れあがった幕府の大軍は、兼相の部隊に押し寄せてきます。その人数は30人程度にまで減っていました。
「このときにあって兼相は、歴史に残る奮戦をする。それは、彼の活躍を記した多くの古記録が証明している。よほどの働きをしなければ、あそこまで多数の書に兼相の戦いぶりは記録されなかったはずだ」(河合さん)
まさに鬼神のごとき戦いぶりでした。最後に討たれてしまうものの、兼相はそれで本望だったのでしょう。橙武者の汚名を挽回したからです。
いまの時代も異性関係で凋落する人は数知れませんが、挽回させることの難しさを実感せずにはいられません。本書には日本史に名を残す25人のエピソードがまとめられています。
(尾藤克之)