スッゴイ派遣社員はいかにして巨大グループの役員に駆け上がったのか!

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「仕事に全力で向き合うアメリカかぶれのヤツ」

   これが学生仲間に評判になり、修理の依頼が殺到した。最初はボランティアで、やがて謝礼を受け取るようになった。最初のビジネス体験だった。コンピューターに詳しくなるのが楽しくて、勉学や音楽以上に打ち込んだ。2年制の単科大学を卒業し、4年制の大学へ進もうと考えていた矢先に、「9.11」のテロが起きて、進学するためのビザがいつ取得できるかわからなくなり、失意のうちに帰国した。徳島には戻らず、東京で暮らすことにした。

   そこで気づいたのは、自分には武器がない、ということだった。アメリカに5年半もいたが、2年制大学を出ただけで、これといった資格もない。英語も多少話せる程度。得意のコンピューターの知識を生かそうと、派遣会社の門をたたき、紹介されたのが、大塚製薬だった。地元・徳島にルーツがある企業で、名前だけは知っていた。

   与えられたのは、「ITのヘルプデスク」という仕事。社員がコンピューターを使っていて、困ったことがあると解決する仕事だった。当時5000人以上いた社員からの相談を4人で引き受けていた。めちゃくちゃ忙しく、辞める人も多かったが、なんとか踏ん張った。

   社員からコンピューターの更新方法を尋ねられ、自分なりのプランをまとめ、会議でプレゼンした。しかし、「他社ではやっていない、前例がない」と否定された。押し問答の末、プランは承認された。「生意気だが、仕事に全力で向き合うアメリカかぶれのヤツ」として認識されることになったという。

   外部エンジニアの先輩と二人で、全従業員のPCを、ウインドウズ98からウインドウズXPに、またメールシステムなどの環境を一斉に切り替えることに成功した。一人で1日100件を超える問い合わせに対応するうちに、自然発生的に全国の支店の人たちと独自のホットラインと信頼関係が構築されるようになり、「ITといえば二宮くん」と覚えてもらえるようになったそうだ。

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