第2部は「トラ狩りの半生記」
準備を整えて撮影に入ったのは2009年のことだ。海岸に監視小屋をつくり、周辺に自動撮影装置を仕掛けた。アムールトラは警戒心が強いからだ。最初は失敗したが、足跡が残っていた。3カ月後、再び戻り、自動撮影装置を5台設置した。そのうちの1台が撮影に成功していた。
次は自動撮影ではなく、自分の目でその姿を撮りたい。しかし、ロシア人協力者は成功の確率は低い、と取り合わなかった。なんとか説得し、別の場所に監視小屋をつくってもらった。
2012年2月27日、延べ50日目に、その時が来た。朝、寒さで目が覚めると、カラスの声がうるさかった。本能的にカメラを手に取った。ゆっくり窓をあけると、雌のトラが餌に食らいついていた。150メートル先のトラを凝視した。前の年に自動撮影した雌トラだった。縞模様が一頭一頭違うので、個体識別が可能なのだ。「なんと、荘厳な生きものだ」と思った。
以上が、福田さんの撮影記で第1部となっている。
第2部は100年前のロシアに実在したハンターの狩猟の記録である。ユーリー・ヤンコフスキー(1879-1956)が書いた「トラ狩りの半生記」を、福田さんが訳した。
ヤンコフスキーの父ミハイルは、ポーランド貴族だったが、独立運動で逮捕され、シベリア送りになった。服役後も政治犯として祖国に戻ることが許されず、開拓者となった。次男のユーリーが自らと父の冒険談をまとめたのが「トラ狩りの半生記」である。
1895(明治28)年、兄と最初のトラに遭遇したときのことが生々しく書かれている。トラを追跡しているうちに、従者がトラに襲われ、重傷を負った。助けようと、夢中で銃を撃った。人食いトラの話も出てくる。
アムールトラは「タイガの帝王」で、無敵だったが、猟銃の出現で上京は一変した。1947年に狩猟獣から外されるまで、受難の時代が続いた。福田さんは、この流血を経て、アムールトラは人間を「アンタッチャブルな存在」として認識し、人間との棲み分けが再構築されたと見ている。
ロシアは20世紀にトラの数が増えた世界で唯一の国になったが、1990年をピークに生息数は減っているという。
撮影記と狩猟記が1冊の本になっているが、後者はアムールトラへの愛の物語だと福田さんは受け止めている。通して読んでもあまり違和感はない。
自分は現代の「マタギ」だと福田さんは考えている。マタギは自然を敬い、狩りの掟を守って、狩猟を生業のひとつにしている。動物写真家も生命の息づかいをカメラに収めて生業にしていることでは同じだと。
日本から飛行機でわずか1時間半の距離に、こうした自然が残っていることに驚くとともに、いつまでも残ってほしいと願わずにいられない。
(渡辺淳悦)
「タイガの帝王 アムールトラを追う」
福田俊司著
東洋書店
2860円(税込)