猛虎の契約選手第一号は、怖かった
上杉謙信として知られる上杉輝虎は「虎づくしの生涯」と紹介されている。享禄3(1530)年、越後の戦国大名・長尾為景に男児が誕生した。庚虎(かのえとら)の年だったので、虎千代と名づけられた。元服し、長尾景虎と名乗った。病弱な兄に代わり、19歳の若さで越後守護代となった。その後、関東管領上杉家の名跡と職を受けつぎ、上杉政虎と名乗った。次いで、将軍・足利義輝の一字をもらいうけ、上杉輝虎と改めた。
宿敵・武田信玄との川中島の合戦は5度に及んだが、「景虎」「政虎」「輝虎」の名のもとに戦われた。少なくとも「謙信」の名での戦(いくさ)ではなかった、と書いている。
勇猛果敢な攻撃ぶりから「越後の虎」と恐れられた。武神・毘沙門天の生まれ変わりを自称し、旗じるしにも「毘」の一字を用いた。毘沙門天の使獣は、虎だ。天正6(1578)年に49歳で急死した。「奇しくも、没年も寅年」。上杉謙信は虎づくしだった。
虎にまつわる本なので、当たり前のように阪神タイガースにも言及している。取り上げているのは「猛虎の契約選手第一号」の門前真佐人(1917~1984)。大阪タイガース(阪神タイガースの前身)の創立時のメンバーの一人で、最初の契約選手だった。
広島県出身。旧制広陵中学時代から強肩強打の捕手として活躍。入団は昭和10(1935)年。右投げ右打ちで、背番号は「17」。「激しやすい性格」「恐ろしいのは『地震・雷・火事・門前』と評されたという。「勝負へのあくなき執念とプレーへの真摯な態度の反映だったのだろう」と福井さんは書いている。
「それにひきかえ」と昨今の選手をこきおろしている。「ブヨブヨと弛緩したからだで出場して三振やエラーを連発」と手厳しい。今シーズンはペナントレースで終盤まで優勝をうかがう位置につけたが、最後は2位に終わった。さらに不甲斐なさを印象づけたのはクライマックスシリーズ。3位の巨人に0勝2敗で敗れるという「ダメ虎」ぶりを発揮した。「寅年」の来年こそ、とファンは期待しているだろう。