コロナ禍の経済対策のための18歳以下の子どもへの10万円相当の給付が2021年11月10日、岸田文雄首相と公明党の山口那津男代表のトップ会談で決まった。
「バラマキ」批判を受け、焦点だった「所得制限」を設けるかどうかについては、「年収960万円」で決着した。
しかし、「これはまやかしだ。何の経済効果も生まれない」と多くのエコノミストは激しく批判する。いったいどいうことか。
「年収960万円」制限が「1800万円」でももらえるカラクリ
11月10日昼前、首相官邸で行われた岸田文雄首相と山口那津男・公明党代表の会談は40分で終わった。18歳以下を対象とする10万円相当の給付の実施にあたって、年収960万円の「所得制限」を設けることで合意したのだった。
「親の収入で子どもが分断されることがあってはならない」
と、あれほど所得制限に反対していた山口代表が、あっさり主張を撤回した。
一方、公明党の主張の「丸飲み」による「バラマキ批判」だけは避けたかった岸田文雄首相は面目を保った形だ。
主要メディアの報道をまとめると、会談は40分だったが、実質10数分で終わり、あとは雑談に終始し、「着地点ありきの出来レース」だったようだ。
合意内容は、18歳以下を対象に現金5万円と、子育て関連の支出などに使いみちを限定したクーポン5万円相当の、合わせて10万円相当の給付を実施するというもの。ポイントは、自民党が持ち掛けた「年収960万円の所得制限」だが、実質的にほとんどの子育て世帯をカバーする内容だ。
国税庁の「民間給与実態統計調査」(2019年)によれば、平均年収は436万円(男性540万円、女性236万円)で、1000万円を超える給与所得者は全体の4.8%とごく一部に過ぎない。所得制限が年収960万円以下であれば、事実上、0~18歳の子どもがいる世帯のほとんど給付金を受け取れることになる。
しかも、「年収960万円」という条件は、「世帯」の収入ではなく、「世帯主」の収入だ。仮に共働き世帯で夫(世帯主)が年収950万円、妻が900万円と合計1850万円の収入がある世帯でも受け取ることができるのだ。だから、山口代表が記者会見で、
「所得制限を設けても、対象のほとんどをカバーでき、目的を達成できると判断しました」
と豪語したのも無理はなかった。
こうした自民党と公明党が合意した「現金給付」に、エコノミスたちからは「まやかしだ」という批判が巻き起こっている。
「子育て世帯とそれ以外の世帯を明確に分断している」
ヤフーニュースのヤフコメ欄では、エコノミストで経済評論家の門倉貴史氏が、こう批判した。
「所得制限が960万円以下であれば0~18歳の子どもがいるほとんどの世帯が給付金を受け取れるので、子どものいる世帯への一律給付とほぼ同じだ。結局、今回の給付金制度では、困窮度合いは考慮せず、子育て世帯には現金やクーポンを給付して、それ以外の世帯や独身者には給付はしないことになり、(公明党の山口代表が)『親の収入によって子どもを分断するのはよくない』と言いながら、子育て世帯とそれ以外の世帯を明確に分断していることになる。
また、現金とクーポンに分けて支給するのも給付手続きを煩雑にするだけで非効率だ。クーポンは全額使うから消費喚起効果が大きく、現金は貯蓄にも回るので消費喚起効果は小さいと思われがちだが、実際にはクーポンを使った分、もともと使う予定だったお金が貯蓄に回ることになるので、現金給付でもクーポン配布でも消費喚起効果に大きな違いはない。現金とクーポンに分けても政策効果は0?18歳に一律現金10万円を支給するのと同じだ」
明治大学公共政策大学院専任教授で社会福祉研究者の岡部卓氏も、こう指摘した。
「今回の合意は、名目上『所得制限』を課しているが、ほとんどの有子世帯に給付が行き渡ることになるため事実上一律給付といってよい(ただし、18歳以上の者、子どものいない者、一定所得以上といわれている者は排除している)。
結果的に、ほとんどすべての所得階層に18歳以下の子どもを持つ有子世帯に薄く一時的給付となっている。しかし、十分な給付水準とはいえず、コロナ対策としての経済対策として(福祉対策としても)、制度設計上(目的・対象・水準・政策効果等)からしてその体(てい)をなさない不十分なものとなっている」
経済対策を11月中旬にまとめる予定の岸田文雄首相にとって、公明党に所得制限を飲ませるかどうかは、「今後の指導力を見せつけるうえで正念場だった」と指摘するのは、第一生命経済研究所首席エコノミストの熊野英生氏だ。
その意味では「形づくり」に成功したわけだ。熊野英生氏は「18歳以下10万円給付への所得制限~年内経済対策で問われる岸田政権の矜持~」(11月8日付)で、まずこう述べている。
「岸田首相にとっては、この問題は因縁がある。2020年春に岸田首相が自民党政調会長だったとき、(現金給付は)当初所得制限を設けて1世帯30万円にすると決定していたのに、土壇場で公明党が国民全員に1人10万円を唱えて、決定がひっくり返った事件である。現在は、経済環境は大幅に改善している。今、所得制限を付けないで、18歳以下の子どもがいる世帯すべてに給付金を配る必然性はない。
経済対策として考えると、給付金が消費支出に回ってこそ景気刺激になるが、子育て世帯は貯蓄率が高い。2020年の家計調査(勤労者世帯)では、未婚の子供がいる夫婦世帯の貯蓄率は41.2%である。子どものいない夫婦世帯の貯蓄率34.9%よりも6.3%も高い=図表参照。なぜ、18歳以下の子供がいる世帯を選んで、優先的に給付金を配るのか。子育て世帯の中でも経済的に苦しい世帯に絞ることが、なぜ正しくないのかはよく理由がわからない」
そして、熊野英生氏は「岸田政権は正念場を迎えた。首相のリーダーシップを発揮して、責任を持って必要度の高い政策を取捨選択してほしい」として、子育て世代の問題なら母子家庭を救うことに全力を傾けるべきだと、こう結んだ。
「気になるのは、母子家庭への対応だ。2019年の厚生労働省の調査では、18歳未満の児童がいる世帯の6.5%は一人親である。特に、母子家庭は貧困世帯が多い。母子家庭に対しては、給付金のみならず、さまざまなかたちでの貧困を抜け出す支援を追加してもよい。すべての子育て世帯を一様に支援するのではなく、母子家庭にはより手厚いバックアップが検討されてもよい」
「子育て世代は将来の増税に備えて貯蓄する」
実質的に18歳以下の子どものほぼ全員に「10万円の給付」が決まったが、経済効果はあるのだろうか。「またバラマキに終わり、貯蓄に吸収されそうだ」と指摘するのは、野村総合研究所エグゼクティブ・エコノミストの木内登英氏だ。「子どもへの給付金の経済効果とその課題」(11月8日付)では、まず「個人消費を7680億円押し上げる経済効果がある」としながら、こう指摘している。
「総務省統計局によると、0歳から18歳までの人口は1923万人程度と推定される。仮に18歳以下の子供に1人10万円を支給する場合、予算は1兆9200億円となり、個人消費を7692億円押し上げる計算となる。これは、年間のGDPを0.36%、個人消費を0.67%押し上げる効果を持つ」
ところが、給付方法に問題があり、「試算」どおりにはいかないというのだ。
「給付金はコロナ対策の一環との位置づけであるが、子どもがいる世帯は、コロナ禍で所得が減少した世帯ばかりではない。新型コロナウイルスが追い風となり、むしろ所得が増えている世帯も少なくない。(バラマキの給付では)大きな打撃を受けている世帯を集中的に救済することにはならず、また、新型コロナで拡大した所得格差を縮小させることにもならない。
子どもがいる世帯は概して生活弱者であるとの認識があるのかもしれないが、それはコロナ対策ではなく、既存の社会保障制度で対応すべき問題だ。そして、セーフティーネットで十分に対応できない分についてのみ、一時的なコロナ対策として給付制度の導入を検討する、というのが本来のあり方ではないか」
と、木内氏は指摘するのだった。
こうしたことから、給付金が実際の消費に回る割合は低く、貯蓄に回る可能性が高いという。
「給付金の経済効果も、期待したほど大きくはならない可能性が考えられる。給付金のように一時的な所得は、月例給のように経常的な所得と比べて貯蓄に回る比率が高くなる。給付金は、新型コロナで所得が大きく減った個人、世帯に対象を絞ったものとするのが適切だ」
と、やはり「バラマキ」を批判するのだった。
「子どもを持つ世帯の多くは将来の増税を心配して、給付金は貯蓄に吸収されるから、なんら経済効果はない」と厳しく批判するのは、三井住友DSアセットマネジメントのチーフマーケットストラテジスト市川雅浩氏だ。「岸田首相の経済対策とリカードの中立命題」(11月8日付)で、英国の経済学者、デビッド・リカード(編集部注:1772年~1823年、自由貿易を擁護する理論を唱えた)の「学説」を引用し、こう述べている。
「リカードは、財政政策について、次のような考え方を提唱しました。政府が景気刺激のために減税し、減税分を国債発行で賄うとした場合、家計が将来の国債償還時の増税を予想すれば、家計は現在の減税分を消費に回すことなく将来の増税に備えて貯蓄するので、減税は何ら景気を刺激する効果を持たないというものです。これは一般に『リカードの中立命題』といわれています。
今回は、減税ではなく現金給付ですが、岸田首相は今の非常時には政策の財源として国債を思い切って使うべきだと述べています。一方、財政赤字について、10年程度は消費税率を引き上げることはないが、財政再建の旗は降ろしてはいけないとの立場です。したがって、10年後以降の増税を予想する家計が多いほど現金給付の政策効果は低下する恐れがあります」
つまり、岸田首相の姿勢を見る限り、10年後以降の増税を予想する人が多く、「リカード理論」によって給付金が貯蓄に回る可能性は高くなるから、政策効果は期待できないというわけだ。市川雅浩氏は、こう結んでいる。
「(2020年の全国民一律10万円の支給も)少なくとも7割が貯蓄に回ったとの調査もみられました。現金給付は、あくまで一時的な生活支援であり、景気全体を持続的に強く押し上げる政策ではありません。 衆院選では与党が勝利しましたが、日経平均株価は依然3万円台を回復しておらず、岸田首相の経済対策について海外投資家など市場の評価は、現時点であまり高くないと考えられます。評価を高めるには、中長期的に日本の経済や企業業績を展望した際、十分な成長と拡大が期待できるような、具体的で分かりやすい構造改革や規制緩和の提示が必要と思われます」
「一時金の10万円」より「毎月の1万円」を
一方、「一時金のバラマキ」より「毎月コンスタントに1万円ずつ」の給付をしたほうが効果的ではないか、と提言するのは、経済評論家で楽天証券経済研究所客員研究員の山崎元氏だ。経済ニュースサイト「ダイヤモンド・オンライン」(11月10日付)の「18歳以下に10万円相当給付、所得制限もクーポンも頭が悪すぎる理由」の中で、自民党と公明党の「妥協」を、こう厳しく批判している。
「『18歳以下に一律で10万円の現金を給付』するとされていた政策案が、自民・公明両党の幹事長会談を経て変容した。5万円分は教育関連に使途を限定したクーポンに姿を変えてしまったのだ。この『クーポン』と、自民党が主張している『所得制限』の導入が、いかに不公平で非効率で頭が悪すぎるかをお伝えしたい。
お金持ちにも現金を給付するのはおかしいという議論は、その部分だけを見ると正しいように思える。しかし再分配の効果は、『給付』と『負担』の『差額』で見るべきだ。手続きを考えると、給付を一定にして迅速に行い、負担面である税制を変化させて『差額』をコントロールするほうが圧倒的に効率的だ。両方を調整するのは制度が複雑になるし、時間とお金の両面で非効率的だ。
所得ないし資産の面で富裕な国民に追加的な負担を求めたらいい。負担が増えた国民と、差額で使えるお金が増えた国民とがいて『再分配』が実現する」
そして、山崎元氏は「18歳以下に一律現金10万円」のバラマキ案のダメなところ」をこう説明する。
「(1)『18歳以下の子ども』という支給対象選定が公平でないこと。(2)継続的な効果がない一時金であること。たとえば、『大学生の子どもがいる母子家庭』のような家には支援がない。そもそも非正規で働いて低所得であるといった理由で、子どもを持つ余裕がない人もいるはずだ」
そこで、こう提案するのだった。
「『1回だけの10万円』のような給付は、受給者にとって安心感が乏しいし、従って前回(編集部注:安倍政権時の全国民一律10万円給付)と同様に支出を促す効果も乏しいはずだ。『子どもの未来』などと言うなら、継続的な支援を考えるべきだ。対案としては、『毎月1万円』のような給付が考えられる。たとえば国民年金の保険料を全額一般会計負担(税負担)にすると、低所得な現役世代には苦しい毎月1万6610円の支払いがなくなって、『手取り収入』が将来にわたって増えることが予想できる」
(福田和郎)