秋篠宮内親王である眞子さまが小室圭さんと結婚されて皇室を離れられたことが、大きな話題として取り上げられています。
世間では小室さんのご家族の問題がどうとか、米ニューヨークでの生活が不安だとか、結婚とは直接関係のない枝葉の事柄ばかりがセンセーショナルに取り上げられています。しかし、今回の結婚で最も注目すべきは、理由はともあれ通常行われる皇室一族の婚礼の儀式をすべて省略する形で進められた点ではないかと思っています。
次々と明るみに出た「昭和の大企業」の不始末
この事実をもって、一般的には「異例」と違和感をもって捉えられていますが、私はむしろ戦後76年を経た象徴天皇制をめぐる、さまざまな制度そのものが時代の変遷についていけなくなってきたことの、一つの現れなのではないかとすら思っています。
昭和の時代には何の疑問もなく画一的であってしかるべきと誰もが信じて疑わなかった女性皇族の結婚の在り方に関して、考え方の多様化を受け入れざるを得ない時代になったのだということに相違ないのですから。
今の時代、たとえ皇族であろうとも個人の自由は尊重されるべきことであり、言ってみれば平成の時代にはまだかろうじて通用した昭和文化が、令和の訪れとともに音を立てて崩れ始めたその象徴ではないかと思い、まさしく「昭和は遠くなりにけり」ということを強く感じるわけです。
昭和の常識はもはや令和の常識ではない、ということを我が国の象徴たる皇室自らがつまびらかにしたとすら思えるところです。
じつは実業の世界でも、同じ類のことを感じさせる出来事が相次いでいます。それは不祥事という形で現れたものに顕著です。たとえば東芝のアクティビストに対する不正対応の問題や、三菱電機で続々明らかになった長年にわたる検査不正の問題。あるいは、3行合併の主導権争いの果てにシステムトラブルを繰り返すみずほ銀行の問題も、どれもみな昭和文化を引きずった果てに、令和の世間から「NO」を突き付けられた「昭和の大企業」の不始末であると思うのです。