「電動化の時代、新たな技術が皆目わからなくなった。90歳を超えて新たな勉強は今さらできない」――。
2021年事業年度上半期(4~9月期)の経済界の動きで、生涯経営トップを貫くと思われていたスズキの鈴木修会長の突然の退任は驚きでした。
鈴木氏は御年91歳。スズキの実質経営トップに君臨すること40年超。町の自動車工場を売り上げ3兆円規模の国際企業に育て上げた名経営者です。
小型車「アルト」を大ヒットに導いた手腕
鈴木修氏は、特攻隊の少年兵として運よく生き残って終戦を迎えたといいます。戦後、金融機関に勤務していた時代に先代に見初められ娘婿として会社に入ったのが1958年。小型オフロード車ジムニーの製造権を他社から譲り受けるなど革新的な実績を上げて、1978年に48歳で社長に就任します。
社長就任直後に陣頭指揮を執って商用車登録の小型車アルトを開発。「アルト、47万円!」というテレビCMと共に売り出し、これが爆発的なヒットとなってスズキの経営は一気に成長軌道に乗ることになります。
アルトがヒットした理由は、それまで走行性に劣り「ガマン車」とさえ呼ばれていた軽自動車を、燃費が良く小回りが利き、かつ手ごろな価格で乗れる乗り物に作り変えたことにありました。
特に47万円という価格は、当時の軽自動車の平均的な価格から15~20万円も安いレベルで、現場技術者の努力によって「安かろう、悪かろう」ではなく、「安かろう、良かろう」な軽自動車の開発が実を結んだ結果であったといえるのです。
では、なぜスズキで「安かろう良かろう」な軽自動車の開発が可能だったのでしょうか。それは何より鈴木氏の軽自動車に対する考え方が、奮っていたからに他なりません。その基本は、「軽自動車はエンジンの排気量や車体のサイズが法令で成約されている。その成約を一たん受け入れて、そのうえで技術者がいいものを作ろうと、頑張るからいいクルマができる」のだと。すなわち、当時の常識であった「安かろう悪かろう」は制約の言いなりになって投げやりに「ガマン車」を作ることだったのに対して、「安かろう良かろう」は、制約を受け入れて、その中でいかに快適なクルマを作れるのか努力を重ねることに他ならなかったのです。