9月1日は「防災の日」。1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起きてから、もうすぐ100年になろうとしている。また、近年は9月に大型台風が上陸したり、長雨が続いたりして、各地で風水害も発生している。9月は防災、自然災害、気候変動、地球温暖化をテーマにした本を随時、紹介していこう。
東日本大震災から10年経ったが、死者がどう扱われてきたかはメディアも遠慮がちにしか報じてこなかった。
本書「震災と死者」は、現場で対応に当たった行政担当者や寺院への聞き取り、自治体が発行した記録誌などから東日本大震災での死者の問題を検証。さらに関東大震災、濃尾地震に際し政府や社会が死者に対しどう対応してきたかを史料で明らかにした。
長年にわたり災害社会史研究に携わってきた歴史学者が、震災と死者の問題を正面から問いなおした本である。
「震災と死者」(北原糸子著)筑摩書房
消防団員は瓦礫を撤去する中で多くの遺体を発見した
著者の北原糸子さんは、1939年山梨県生まれ。東京教育大学大学院日本史専攻修士課程修了。神奈川大学歴史民俗資料学研究科特任教授を経て、現在、立命館大学歴史都市防災研究センター教授、歴史地震研究会前会長。日本の災害史研究を重ねている。著書に「磐梯山噴火」「日本災害史」などがある。
冒頭で「震災と死者」という、あまり穏やかではないタイトルを敢えて使った理由を書いている。東日本大震災で2万人弱の死者のうち、津波による溺死者とされた人たちのその後があまりにも悲惨な状態に置かれたことにショックを受けたからである。
北原さんは、災害史研究者として20年ほど前から、明治三陸津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)で津波に襲われた岩手、宮城の村々がいかにして再生、復興したかを調査してきた。
東日本大震災に際しても2011年7月から現地調査に入り、さまざまな聞き取りをしてきた。また、日本消防協会がまとめた「消防団の闘い―― 3・11東日本大震災」と重ね合わせ、消防団員が置かれた過酷な状況に衝撃を受けたという。
被災3県で出動した消防団員の総数は不明だが、254人の死者のうち殉職者は約80%にのぼっている。団員たちは瓦礫を撤去する中で多くの遺体を発見するが、「これは団員が行うべき仕事なのか」という疑問を抱きながら、遺体捜索・収容などをやらざるを得ない状況に追い込まれたという。
仮埋葬され、掘り起こされ、東京で火葬された遺体も
また、津波災害がもたらした遺体処理問題についても取り上げている。宮城県沿岸部では各自治体の火葬場も被災したため、遺体をいったん仮埋葬(土葬)し、再び掘り起こして他府県に搬送して火葬にするという措置も取られた。
宮城県の死者は9472人、行方不明者は1778人で、県内には22カ所の遺体安置所が設けられた。石巻市、東松島市、女川町の3市町で県内の50%以上の死者が発生したため遺体の火葬が追いつかず、仮埋葬(土葬)にせざるを得なくなった。
この作業を請け負った仙台市の葬儀会社・清月記が、「清月記活動の記録」を出版。同書と聞き取り調査から、その模様を明らかにしている。凄惨な記述だが、一部引用しよう。
「埋葬地で棺は木札に書かれた番号順に並んでいる。1日目は重機オペレーターが約1.5メートルの深さの土を掘り下げ、棺が見えると重機を止め、スコップなどで棺を傷めないように配慮しつつ丁寧に扱った。 長期間土中に置かれた棺はいずれも『水を含んだ粘土質の土圧によって棺は変形し、中に溜まった水や体液、血液が大量に流れ出て』くる状態だったという。こうした作業は酷暑の中で約3か月間続き、掘り起こした遺体は872体、火葬処置した遺体は665体であった」
東京都へ大量の身元不明遺体が搬送されたことも書かれている。東京都は被災地支援事務所を立ち上げ、支援要請などを受け付ける窓口を宮城県に設置し、火葬協力が必要になると判断。全国知事会からの協力要請を受けて、860体の遺体を受け入れ、火葬処理などを行った。こうした事実はあまり知られていないという。
死者、遺族には次なる問題が待ち受けていた。遺骨を埋葬すべき墓地とその管理を担う寺が流失・損壊・焼失し、埋葬できない事態が各地で起きたのだ。その実例を紹介している。
また、第Ⅱ部では「関東大震災の寺院被害と復興」「関東大震災と寺院移転問題」の2つの論考を収め、第Ⅲ部では1891年10月28日に発生し、死者7223人を出した濃尾地震と死者を供養する震災紀念堂について書いている。必ずしも直接に「死」を扱うものではないものの、東日本大震災以前の自然災害における大量死を社会はどのように捉え、どのように死者を葬ってきたのかを扱っている。
新型コロナウイルスによる死者数も震災並みに
けさ(2021年9月17日)のNHKのニュースで、新型コロナウイルスによる国内の死者(16日現在1万7045人)は、東日本大震災の死者数(約2万人)に近づきつつある、と報じていた。そして、遺族もきちんと弔うことができないまま亡くなっていったと。
本書の「はじめに」の記述に思い当たるところがあり、戦慄した。
「コロナ感染によって死亡した人たちのその後がどのように処遇されたのか、現在、ほとんど情報が公にされていないし、調べる手がかりも与えられていない。責任の機関で記録を残しておくことを願うばかりである」
と北原さんは問題提起している。
コロナ死の場合、責任の機関とはどこになるのか? 国なのか、都道府県なのか、市町村なのか、はたまた病院なのか。きちんとした記録が残らないまま、コロナ死という大量死が歴史の闇に消えようとしているのではないだろうか。(渡辺淳悦)
「震災と死者」
北原糸子著
筑摩書房
1870円(税込)