武田信玄の甲州流治水法
戦国時代の武将、武田信玄は治水に関してさまざまな名言を残している。富士川は日本最高峰の富士山や南アルプスの北岳を水源として、日本で一番深い湾・駿河湾に駆け下る急流河川である。
甲府盆地は水害の常襲地帯であり、武田信玄は甲州流の治水法を編み出した。ひと言で表現すれば、河川の流勢を利用して河川を制する。「水を以て水を制する」知恵である。
暴れ川の御勅使川と釜無川の合流点を上流の断崖の高岩へ移し、激流を衝突させることでエネルギーを減殺。その後、相当弱められた洪水を霞堤といわれる不連続堤防で逆流させ、一時的に貯留、洪水位が下がればもとに戻す、合理的なシステムをつくった。
霞堤とは、堤防を連続して築かず、不連続でしかも一部重ね合わせるようにした堤防だ。世界でも類を見ない、信玄の独創だ。
また、加藤清正も「治水五則」を残している。現代語風にこう紹介している。2つ抜粋しよう。
・水の流れを調べるとき、水面だけでなく底を流れる水がどのようになっているのか、特に水の激しく当たる場所を入念に調べよ。
・堤を築くとき、川の流れの近いところに築いてはいけない。どんなに大きな堤を築いても堤が切れて川下の人々が迷惑する。
言葉だけでなく、河道の付け替え分流の知恵「背割り石塘」、河川から用水を取り入れる斜めに横断する斜堰、土砂流を堆積させずに流す「ハナグリ井手」など、独創的な技法を残しているという。