自分が住んでいる土地がどういう場所か、知っていますか?【防災を知る一冊】

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   9月1日は「防災の日」。1923(大正12)年9月1日に関東大震災が起きてから、まもなく100年になろうとしている。また、近年は9月に大型台風が上陸したり、長雨が続いたりして、各地で風水害も発生している。9月は防災、自然災害、気候変動、地球温暖化をテーマにした本を随時、紹介していこう。

   近年、各地でさまざまな自然災害が起きている。河川の氾濫、傾斜地での土砂崩れ......。こうした水害や地形災害は、単に地球温暖化や異常気象だけで説明できない。どこで、どのように災害が発生しているのかについて理解を進めるために、地形環境やその歴史的改変の知識が欠かせない。

   本書「地形と日本人 私たちはどこに暮らしてきたか」(日経プレミアシリーズ)は、歴史地理学の観点から書かれた警世の書である。

   「地形と日本人 私たちはどこに暮らしてきたか」(金田章裕著)日経BP

  • 大雨で河川が増水して……(写真はイメージ)
    大雨で河川が増水して……(写真はイメージ)
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川沿いの低地は危ない

   著者の金田章裕(きんだ・あきひろ)さんは、京都大学名誉教授。京都府立京都学・歴彩館館長。京都大学理事・副学長、大学共同利用機関法人・人間文化研究機構機構長などを歴任。専門は人文地理学、歴史地理学。著書に『微地形と中世村落』『古地図からみた古代日本』『大地へのまなざし』『景観からよむ日本の歴史』ほか多数。

   日本人の多くは平野に住んでいる。そもそも平野は川によってつくられた。平野は、扇状地、自然堤防、後背湿地、氾濫平野、三角州などに分類でき、後背湿地や氾濫平野は、主に水田に利用され、集落は自然堤防沿いにつくられてきた。

   ところが、近代に入って築堤技術が進み、人々はかつての水害への警戒を解き、川沿いの低地が安全な土地であるかのような、「一種の錯覚を持つに至ったものだろう」と警告する。

   「堤防を築くと水害が起こる」という第3章のタイトルが刺激的だ。第2章で、川がどのようにして平野をつくってきたかを知ると、スムーズに理解できる。扇状地上の河道は変遷すること、河道沿いには微高地と背後に低湿地ができること、後背湿地と遊水地が水害対策として役割を果たしてきたことなどを各地の例で紹介している。

   京都の鴨川では平安京の頃、「防鴨河使(ぼうかし)」という役職が設置され、堤防の見回りや築堤工事を行った。西方の葛野河(桂川)についても同様の「防葛野河使(ぼうかどのかわし)」が設置された。貞観3年(861)にはいずれも停止して「国司(山城国)」にまかせることにした。

   さらに貞観13年(871)には、鴨川について次のように命じた(『日本三代実録』)。

   ・堤が決壊すれば被害が甚大であるので、堤を高くすること。

   ・堤の周囲に田を拓いたり、灌漑用水の穴をあけたりすれば、堤を壊すことになるので、公田のほかに田畠(畑)を耕すことを禁じ、また、堤を害するような公田の耕作も禁止する。

   これらの記述から、少なくとも平安京側(西側、右岸)には、すでに連続した堤防(連続堤)が建設されていたと金田さんはみている。

   しかし、氾濫を防ぐために人々が河川に堤防を築くと、かえって水害が増大する、皮肉な結果になったという。

   大きな河川で一般的だったのは不連続な「霞堤」ないし「筋違い堤」だった。増水すれば不連続なすき間から流水があふれ、破堤の危険を避けることが出来た。流勢はそがれて上流部で滞水、壊滅的な被害にはならなかった。

   連続堤は堤の内側と外側を明確に区分するため、破堤すればもちろん、堤防を越えて溢水することがあっても、それは「水害」になる。

   2019年の台風19号によって、長野市穂保で千曲川の堤防が決壊し、新幹線車両基地をはじめ、多くの住宅、施設が水害にあった。この地域も増水した千曲川が氾濫しやすい狭隘部付近であり、歴史的にもしばしば水害を蒙った地域であった。それをいつしか忘れていたのかもしれない。

   川沿いは伝統的に水田や池沼が多い低地であり、人が住む住居の建設には不向きな土地と思われてきた。しかし、築堤技術が進み洪水の危険性が低くなると、「広くて、地価の安い土地」は住宅団地や工場の建設の適地となった。

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