オリンピック日本代表に大学生が占める割合はどれくらい?【7月は応援! 五輪・パラリンピック】

糖の吸収を抑える、腸の環境を整える富士フイルムのサプリ!

1964年東京大会の学生通訳で有名になった「上智の外国語」

   前回の東京大会は大学の協力なしには運営できなかった。通訳が圧倒的に不足していたからである。学生通訳はJOC(日本オリンピック委員会)から委嘱された18の大学から選ばれた。

   英語と仏語が対象で、大学ごとに競技が割り当てられた。上智大学は最も多い34人。外国語学部は当時開設7年目で、「64年大会以降、『上智の外国語』はさらにブランド力を持つようになり、大学全体が底上げされ、1970年代以降、大学入試では『早慶上智』という難関校グループが確立していく」と書いている。

   選手村運営などをサポートする一般通訳は、新聞広告などで募集が行われた。英仏独西露の通訳が求められ、約7500人の応募があり、採用試験で900人が選ばれた。大会直前になって通訳が足りなくなり、試験なしで採用された学生も少なくなかったという。

   裏方をつとめた学生の話が面白い。通訳のほかにも、選手の練習補助、運転手、競技場の観客整理、選手村運営(食堂運営、選手案内、宿舎警備、備品搬入)など、さまざまな分野で学生がアルバイト、ボランティアとして参加した。

   国士館大学から約800人の学生が大会運営に関わっていた。なかでも体育学部では8割の学生が参加した。競技会場で観客が入場するときの整理、選手村での警備などをボランティアとして任されていた。

   当時、同大学助手としてボランティアを指導していた国士館理事長の大澤英雄さんは、負けた選手が酒を飲んで大騒ぎするのを学生ボランティアがなだめた苦労話を披露している。

   「東京2020」では、大学単位ではボランティアを募集していない。大澤さんは今回、参加の呼びかけがなかったのは残念だとしている。大学スポーツの役割は大きく、「だからこそ、大学がオリンピックに積極的に関わるべきだと考えます」と話している。

姉妹サイト