オリンピック日本代表に大学生が占める割合はどれくらい?【7月は応援! 五輪・パラリンピック】

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   東京オリンピックが2021年7月23日に開会式を迎えた。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期され、いまなお世界各地で猛威を振るっている中での開催に、さまざまな議論が巻き起こっているが、アスリートの活躍には応援の声を届けたい。そう思っている人は少なくないだろう。

   そんなことで、7月はオリンピックとスポーツにまつわる本を紹介しよう。

   今回の東京オリンピックに出場している日本人選手は、社会人、学生、プロなど、さまざまな人がいる。しかし、かつて日本にとってオリンピックの歴史は大学とともにあった。

   本書「大学とオリンピック 1912-2020」は、大学とオリンピックの関係を探りながら、日本のスポーツの変遷を追った本である。

「大学とオリンピック 1912-2020」(小林哲夫著)中央公論新社
  • かつて、オリンピック選手の多くが大学生だった!(写真はイメージ)
    かつて、オリンピック選手の多くが大学生だった!(写真はイメージ)
  • かつて、オリンピック選手の多くが大学生だった!(写真はイメージ)

1924年までは東京高等師範学校が多かった

   著者の小林哲夫さんは教育ジャーナリスト。著書に「東大合格高校盛衰史」、「ニッポンの大学」などがある。本書のサブタイトルも「歴代代表の出身大学ランキング」となっている。

   まずはそのランキングから見てみよう。最初に日本が出場した1912年ストックホルム大会は、東京高等師範学校(現・筑波大学)1人、東京帝国大学1人である。前者がマラソンの金栗四三選手、後者が三島弥彦選手であることは、NHKの大河ドラマ「いだてん」ですっかり有名になった。

   当時、国内にはプロスポーツは存在しなかった。実業団チームもほとんどなかった。オリンピック代表は消去法で大学生に限られてしまう。

   1924年パリ大会までは東京高等師範学校が多い。その後、1928年アムステルダム大会から1936年ベルリン大会までは早稲田大学がトップで、戦後の1952年ヘルシンキ大会では日本大学、1956年メルボルン大会では慶応義塾大学、1960年ローマ大会では中央大学がトップを占め、1964年東京大会から現在まで、日本大学と日本体育大学がしのぎを削っている。

   しかし、代表のうち大学生が占める割合は低くなっている。1952年には47.2%と半分近くを占めていたが、64年東京大会から大学生の比率が低くなり、72年ミュンヘン大会から2016年リオデジャネイロ大会まで1割台が続いている。今大会の数字は出していないが、同様と見られる。企業やクラブチームなど社会人選手の育成が強化され、大学生は社会人に太刀打ちできなくなったからだ。野球はプロ野球、サッカーはJリーグのメンバーで占められ、大学生の出番はなくなった。

   本書は文武両道だった戦前の学歴エリートたちの活躍、1940年「幻の東京五輪」の学徒動員などにふれながら、1964年東京大会を支えた学生通訳や裏方学生の秘話を紹介している。

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