信長の強さの秘密は軍事力ではなく「経済力」にあった【尾藤克之のオススメ】

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実際の信長軍はかなり強靭だった 

   さらに、信長軍はそのような長駆の後、十分な休養を取る間もなく攻撃を開始し、今川本陣を殲滅しています。どれほど強靱な軍だったのでしょうか。

「この長駆作戦こそが、今川総崩れの要因だったと思われます。というのも、桶狭間の戦い当時の今川方の陣地は、信長の本拠地の清須城からはかなり離れていました。今川義元から見れば、本陣は信長の居城である清須城からは遠く離れているし、その間には堤防のようにして鳴海城、大高城という今川方の城があります」

と、大村さん。

「今川方にとっては『絶対安全な場所』に陣をとっていたとも言えます。当然、今川方は油断しています。そこに信長軍の本隊がいきなり襲いかかってききます。それが、織田軍大勝利の最大の要因だと思われるのです。そして、この長駆作戦が可能だったのは、常備軍だったからだと考えています」

   織田信長は戦国大名の中で唯一、天下をほぼ手中にした存在です。それと同時に「楽市楽座の開設」「比叡山など寺社に対する攻撃」など非常に変わった施策をしています。他の大名が京都への上洛か、領土の拡大しか考えていなかった時代に、時代の先を見越した戦略とはなにか? その答えを知りたいとは思いませんか。(尾藤克之)

尾藤 克之(びとう・かつゆき)
尾藤 克之(びとう・かつゆき)
コラムニスト、著述家、明治大学客員研究員。
議員秘書、コンサル、IT系上場企業等の役員を経て、現在は障害者支援団体の「アスカ王国」を運営。複数のニュースサイトに投稿。著書は『最後まで読みたくなる最強の文章術』(ソシム)など19冊。アメーバブログ「コラム秘伝のタレ」も連載中。
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