東京五輪・パラリンピックが2021年7月23日に開会式を迎える。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期され、いまなお世界各地で猛威を振るっている中での開催に、さまざまな議論が巻き起こっているが、アスリートの活躍には応援の声を届けたい。そう思っている人は少なくないだろう。
そんなことで、7月はオリンピックとスポーツにまつわる本を紹介しよう。
2021年7月13日(日本時間14日)、米大リーグのオールスター戦で、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手がア・リーグの「1番指名打者」と「先発投手」として史上初の「二刀流」で出場する歴史的快挙を成し遂げ、野球への関心を盛り上げた。
一方、無観客での開催が決まった東京オリンピックは、開会式まで1週間が迫っても、関心はパッとしない。本書「プロ野球vs.オリンピック」は、幻の東京五輪(1940年)に焦点を当て、プロ野球草創期の秘話を掘り起こした本である。
「プロ野球vs.オリンピック」(山際康之著)筑摩書房
プロ野球球団が生まれるまで
著者の山際康之さんは、1960年生まれ。桑沢学園理事長・東京造形大学学長。専門はエコデザイン。その一方で、ノンフィクション作家として、「兵隊になった沢村栄治」、「広告を着た野球選手」の著書を持つ。
まだ、日本にプロ野球がなかった頃の話から始まる。1931年、東京六大学対全米選抜の日米野球が成功すると、読売新聞社長の正力松太郎は36年からのプロ野球発足を決意する。同じ頃、ベルリン五輪での野球競技が決まり、アメリカはベーブ・ルースを代表監督にすると発表。さらに東京が五輪開催に名乗りをあげ、選手たちが五輪出場かプロ野球かで悩むなか、各球団による争奪戦が始まる、というのがメインの話だが、そこにいたる日本のプロ野球の「前史」を紹介している。
大正9(1920)年、日本運動協会という球団が生まれた。日本初の職業野球団である。東京・芝浦に球場を構えていたことから芝浦協会と呼ばれたが、野球を商売にすることへの偏見もあり、興業は思うようにすすまなかった。そこへ関東大震災が追い討ちをかけた。芝浦球場は救援物資配給の基地になり、球場使用のめどが立たず、協会は解散に追いやられてしまった。
見かねた阪急電鉄の小林一三が救いの手を差し伸べ、宝塚運動協会として再出発したが、うまく行かなかった。
33年に「東京臨海野球場株式会社」の株式募集という広告が、東京朝日新聞に掲載された。芝浦の埋め立て地に12万人収容の球場を建設。球場付属チームもつくるという触れ込みだった。だが、この話も立ち消えになった。
職業野球団の創設を夢見る早稲田大学関係者が頼ったのは、読売新聞社長の正力松太郎だった。34年6月、正力の後押しで株式会社大日本東京野球倶楽部の事務所が開設された。全日本チームをつくり、日米野球が終われば、職業野球団に生まれ変わる手はずになっていた。契約選手第1号は早稲田大学を中退した三原脩だった。
同年11月、ベーブ・ルースら大リーグ選手たちによる全米チームが来日した。銀座通りが群衆で埋め尽くされる読売新聞の写真が掲載されている。そうしたなか、米国オリンピック協会が、36年に開催されるベルリンオリンピックで、「日本対米国の野球エキシビション試合が決まった」と発表した。