病室からオンライン会見にインタビューの日々
こうした手腕は財界からも注目され、2018年5月に榊原定征氏(元東レ会長)の後任として経団連会長に就くと、着手したのは日本経済の雇用改革だった。
経団連が示してきた大学生の新卒採用日程の指針について、記者会見で突然「もう何月解禁とは言わない」と切り出したのだ。この時点では経団連内部の意思決定や政府や大学界との根回しを済ませておらず、慌てる経団連の事務方を尻目に主張を通した。これが多様な人材を受け入れやすい通年採用の導入を後押しした。
終身雇用を前提にした日本企業の制度についても「限界に来ている」と危機感をあらわにした。米国のグーグルやアマゾンなどGAFAと呼ばれる巨大IT企業がリードする世界経済の中で、勢いを失った日本経済の立て直しに目を配り、重厚長大型企業が目立つ経団連の加盟基準を緩和することで新興IT企業も入りやすくして議論の活性化を図った。
改革を相次いで打ち出して「中西経団連」の評価は高まったが、2019年5月にリンパ腫が発症。経団連会長だった3年のうち2年近くは闘病を余儀なくされた。
それでも病室から経団連や日立のスタッフに電子メールで指示を出して執務にあたり、メディアのオンライン会見やインタビューに応じることもあった。
2021年4月の記者会見では回復した様子にも見えたが、その後に再び体調が悪化。後任の経団連会長を十倉雅和・住友化学会長に委ね、就任を見届けるようにこの世を去った。改革は道半ばだったかもしれないが、のちに振り返ると、それは貴重な一歩だったと認められるに違いない。(ジャーナリスト 済田経夫)