人力車夫を排除したマラソンの国内規定
本編では、各大会のエピソードとともに、日本人選手の足跡を伝えている。NHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でも紹介された、第5回ストックホルム大会での金栗四三選手の「悲劇」も。マラソンの25キロメートル地点で脱水症状を起こして気を失った。途中棄権し、競技場には戻らず、そのまま宿舎に送り届けられた。
「日本人の粘りと闘志はどうしたッ。大和魂をどこへ捨てたッ」という随行役員に返す言葉もなかったという。ポルトガル代表選手は日射病で死亡。日本監督の大森兵蔵はその日に病に倒れ、快癒しないままその年の暮れに他界した。
大会ごとの「ミニコラム」も面白い。第7回アントワープ大会の国内予選から、日本でもアマチュア資格が採用になった。人力車夫の脚力が強く、日本選手権のマラソンで1位から5位まで「車夫」だったこともあったそうだ。そのため、マラソンでは「脚力ヲ用ウルヲ業トサセルモノ」を排除する規定を設けた。その後のてんまつには苦笑いするしかない。
「車夫側は締め出しに抗議して団体を組織し、若い車夫を夜学に通わせて学生の資格を取得させる対抗策に出たという。2年後に、早稲田大学の河野一郎主将が箱根駅伝からの夜学生締め出しを提案し、彼らは第4回大会から出場できなくなった。車夫駅伝になりそうな気配だったためらしい」