「平和の祭典」のアピールには、広島と長崎の被爆地を訪問するのが一番わかりやすいというわけか――。
東京五輪・パラリンピックのために来日するIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が広島訪問を希望している。コーツ副会長も長崎訪問を計画しているという。
被爆者たちからは
「パフォーマンスのために私たちを利用しないで!」
という怒りの声が殺到している。
「オリンピック休戦」が始まる日を狙って訪問
主要メディアの報道をまとめると、東京五輪・パラリンピック組織委員会は2021年6月30日、IOCのトーマス・バッハ会長が7月8日に来日し、16日に被爆地の広島市を訪れる方向で調整していると発表した。
7月16日は国連で採択された「五輪休戦決議」がスタートする日で、すでに来日しているIOCのジョン・コーツ副会長も、同じ日に長崎市の訪問を計画している。バッハ会長らは被爆地の訪問によって、東京五輪やスポーツを通じた平和への取り組みを訴えるとみられる。
「五輪休戦決議」とは、古代ギリシャではオリンピアの最中、戦争をしていた都市国家が休戦協定を結んだ故事にならったもの。五輪・パラリンピック期間に合わせて武力紛争を控えるよう呼びかける国連の決議だ。1994年のリレハンメル冬季五輪で初めて採択されて以降、恒例行事になった。東京大会では、開幕7日前の7月16日から、パラリンピック閉幕7日後の9月12日までが休戦期間中になる。
ただし、各国に法的拘束力はなく、有名無実化が指摘されている。長野冬季五輪(1998年)の時は、米軍がイラクを空爆した。北京五輪(2008年)の時は、グルジア(現ジョージア)が独立宣言をした南オセチア自治州に侵攻、内戦が始まった。この時はグルジアが南オセチアの後ろ盾、ロシアの首脳陣が北京五輪の開会式に出ている隙を狙ったといわれ、いわば五輪が戦争に利用された形だ。
このIOC幹部らの被爆地訪問を、地元の人々はどう思っているのだろうか。広島県の地元メディア「RCC中国放送」(7月1日付)「IOCバッハ会長 16日に広島訪問で調整 被爆者団体の反応は」が、こう伝える
《バッハ会長のコロナ禍での広島訪問には、さまざまな意見が聞かれました。広島市・松井一実市長は、国が「感染対策を徹底することが前提」としたうえで、歓迎する意向を示しました。
「著名な人が広島に来て、被爆の実相に触れていただける。多くあればあるほどいいと思っています。基本的には来ていただけるということに歓迎であります」(松井一実市長)
一方、被爆者団体は......。
「核兵器の怖さというものを自分の目で確かめてもらえるとありがたい。けれども 新型コロナの感染を心配しつつ、難しいところですよね」(広島県原爆被害者団体協議会=被団協=の箕牧智之理事長代行)
もう一つの被団協の佐久間邦彦理事長は、コロナ禍でのオリンピック開催を疑問視したうえで......。
「オリンピックは平和の祭典ですから。命が一番大切だと言っているわけですから。オリンピックをやる前提で広島に来ることは賛同しかねる」(被団協の佐久間邦彦理事長)》
ここに被団協が二つ出てくるが、被団協は、社会主義国である旧ソ連の核実験の是非をめぐり1964年に分裂。現在まったく同じ名前の団体が二つある。一方は「半分歓迎」、もう一方は「断固拒否」と対応が二つに分かれた。
RCC中国放送がこう続ける。
《街の人からも賛否の声が聞かれました。
「私は反対です。オリンピックだけに専念していただき、別に時間を作って来られたほうが義務だと思います。ついでというのは失礼だと思いますね」
「やっと新型コロナが落ち着いてきて、数も減ってきたけど、そういう人が来ることで、また感染が広まる。」
「広島の原爆の状態を世界に発信してくれるのでしたら、まあ。平和への小さな一歩かもしれないけど、伝わればいいかなと思いますけどね」
――大会開催による感染拡大への不安がぬぐえない中で、さまざまな受け止めがあります。各国選手団の入国が本格化しますが、選手のみなさんの行動も制限されます。大会トップであるバッハ会長にも、そうした『安全・安心』のためにどのような姿勢を示すのか、広島の人が注目することは避けられないところです。》
地元市長たちは「歓迎したい」というが...
一方、コーツ副会長が訪れる予定の長崎市ではどうか。地元紙「長崎新聞」(7月2日付)「IOCコーツ氏 長崎訪問16日に調整 県内被爆者ら来訪に賛否」と、やはり賛否激論があることを伝える。
「コーツ副会長の長崎市訪問について、県内被爆者らの間で賛否が割れている。歓迎する声の一方、コロナ禍の来訪を疑問視する意見も聞かれる。県被爆者手帳友の会の朝長万左男会長(78)は『IOCが被爆地を平和活動の中心と認識している』と評価。16日が『五輪休戦決議』の期間初日とあって『紛争をいったん停止してでも五輪を開催する、とのメッセージを発信して』と望んだ」
長崎新聞は、一方で反対論をこう報じる。
「長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(80)は、感染拡大を理由に五輪開催自体を『強行すべきでない』とし、コーツ氏来訪も『心から歓迎できない』と否定的だ。『被爆体験を聞いてほしかったが、コロナで被爆者との懇談も難しい中、押しかけてくるように映る』と語った。県平和運動センター被爆連の川野浩一議長(81)は『長崎に来ることには敬意を払いたい』としつつ、『形式的に訪問するのではなく、核廃絶に真摯(しんし)に向き合う気持ちを持って訪れてほしい』と求めた」
また、田上富久・長崎市長は報道陣の取材にこう述べたのだった。
「広島、長崎とも多くの人に被爆地を訪問するよう呼びかけてきたので、正式に決まれば、きちんとお迎えしたい。長崎に来て、被爆者の思いや被爆の実相に触れる時間を作っていただきたい。(反対意見があることには)いろいろなご意見はあると思うが、被爆地を見ていただくのは重要なので、感染防止に気をつけながら訪問してもらい、多くの人が被爆地を訪れる流れができていってほしい」
と期待した。
一方、バッハ会長ら被爆地訪問の目的を、「ノーベル平和賞を狙っているのではないか」と指摘するのが、東京新聞(6月30日付)「『平和』掲げ五輪強行?『休戦決議』期間、バッハ会長広島訪問意向」だ。
「著書『オリンピック・マネー』があるジャーナリストの後藤逸郎氏は、『オリンピック休戦が始まる日に広島に行き、平和メッセージを発信することで、IOC会長として初のノーベル平和賞を狙っているのではないか』とみる。だが、オリンピック休戦に法的拘束力はない。中東やアフリカで今も続く戦争を終わらせることは望めそうもない。一方、2010年のバンクーバ五輪は、WHO(世界保健機関)が新型インフルエンザのパンデミック宣言をした8か月後に開かれ、2016年のリオ五輪は、ジカ熱感染が懸念された中でも開催された」
つまり、IOCは「世界平和」を標榜しながら、これまでも感染症の猛威が世界を襲っている最中に、平気で五輪を開いてきたわけだ。そして、後藤逸郎氏は東京新聞の取材にこう語っている。
「なぜコロナ禍でもびくともせず、五輪開催にムキになれるかといえば、IOCはテレビ放映権に象徴される商業主義団体だからだ。われわれと物差しが違う。日本の人が、やっとワクチン接種が始まり、冬には少し落ち着けるのかと願っている時に大規模イベントを開く。そんな姿をみて、世間はやっとその正体に気づいたと思う」
「広島県民、長崎県民、そして日本国民に失礼だ」
ネット上ではIOC幹部の被爆地訪問について、圧倒的に批判の声が多い。広島の人々からこんな意見が。
「広島市民として言うが、今感染者が少なくなったのは、広島県民みんなが自粛して我慢した結果なのに、国を越えて県を越えてやってくるなんて腹立たしい。バッハ会長は、五輪の行動制限ルールを徹底要請する書簡を公表したが、それなら自分こそ広島、長崎に来るのをやめるべき。また、感染を心配する日本国民の気持ちが分からない人間に原爆慰霊碑の前に立ってほしくない。単なるパフォーマンスのために広島に来るのは絶対にやめてほしい」
「世界中の多くの人に広島や長崎を訪れてほしいと思っています。しかし、今回はどうしても訪問を拒否してほしい。国民の多くが県境をまたぐ移動を自粛している時に、子供たちが運動会や遠足を我慢しているのに、特権を振り回しては広島県民、長崎県民、そして国民に失礼です」
「まさか広島県から来広をお願いなんてしてないでしょうね! そうでないのなら広島県が来広を控えるようにIOC側に強く要請してほしい。平時なら私もいいことだと思いますが、今はさすがに空気が読めないのか? と思います」
「五輪期間中でもコロナは休戦してくれません。『平和の祭典』とはなりません。パフォーマンスで被爆地を訪れるのは遠慮していただきたい。バッハ会長一人ならともかく、取り巻きやSP、マスコミが大勢来て、やっとコロナが落ち着きつつある広島をかき回さないでいただきたい」
ほかの地域の人々からもこんな意見が多かった。
「多くの人命が奪われている現状で開催すること自体が『平和の祭典』を掲げる五輪の精神に反している。――被団協の佐久間理事長のおっしゃる通りです。そもそも、被曝地から『歓迎しない』と言われたら普通はやめますよね?」
「『できるだけ多くの人に被爆地を見てほしい』と、肯定的な市長さんたちの言うこともわかるが、なにしろこのタイミングだからね。本当に被爆地を見る気持ちがあったのなら、なぜ、日本での開催が決まった時にでもすぐ来なかったのか。あるいは五輪後の落ち着いた時に来てもいい。このタイミングでは、パフォーマンスとみられるのも致し方ないでしょう」
(福田和郎)