個人で参加できたオリンピック
国旗がオリンピックに初めて登場したのは第4回ロンドン大会(1908年)で、それまでは個人やチーム単位でも参加申し込みができるほど規模が小さかったという。また1912年の第5回ストックホルム大会から48年の第14回ロンドン大会までは、古代オリンピックにならい、スポーツとともに芸術競技(建築、彫刻、絵画、音楽、文学)も開催されたことを知った。
聖火リレーが行われたのは、第11回ベルリン大会(1936年)が初めてで、コース周辺の道路事情や地形はナチス・ドイツによってくまなく調査され、そのデータは後にドイツ軍参謀本部が活用し、第二次大戦では、ルートを逆にたどりドイツ軍が侵攻したことなど、オリンピックにまつわる興味深い話が満載だ。
入場行進でどの歌を歌うか、表彰式でどの国旗を掲げるかでトラブルになった例も多いという。日本に関係する話では、ベルリン大会で男子マラソンの金メダルを獲得した孫基禎選手の事例を紹介している。
孫選手は当時日本の植民地だった朝鮮半島の出身。表彰式で手にした月桂樹の植木鉢で胸に縫い付けられた日の丸を隠し、うつむいた。試合から16日後に発行された朝鮮の「東亜日報」は、日の丸を消した表彰式の写真を掲載し、発行停止となった。その後、孫選手は「要注意人物」として特高警察にマークされた。
東京高等師範学校(現・筑波大学)や早稲田大学には受験を拒否され、明治大学専門部法科(現・明治大学法学部)に入学したものの、当局は入学に際し、「再び陸上をやらないこと。人の集まりに顔を出さないこと。できる限り静かにしていること」といった条件を出し、電車にも満足に乗れなかったという。