「原発事故10年 翻弄される福島」からリポート
第2特集は、「原発事故10年 翻弄される福島」。横浜国立大学准教授でジャーナリストの高橋弘司氏がリポートしている。約2万1000人の全町民が避難を強いられ、立ち入り制限が解除されても帰還したのは、約7%の約1500人にとどまる浪江町は、2年前に比べて更地が増えていた。
ようやく昨年1月から漁港市場で競りが再開されたが、今年4月政府は汚染処理水を薄めて海洋放出する方針を固めた。「風評被害は計り知れない」「トンネルの先が見えない」という漁師の声を紹介している。
震災前、町には小学校6校、中学校3校があったが、いま町で唯一の教育施設は2018年4月に開校した「なみえ創成小・中学校」だ。かつて1700人いた子供たちは現在31人(小学生22人、中学生9人)。一般的な学校と比べて子供の人数が少なく、運動部などには限界があり、「教師が子供の相手をするしかないのが実情だ」と書いている。
10年たっても住民が1人も帰還できない双葉町も訪れた。かつて「原子力 明るい未来のエネルギー」という巨大な原発広告塔があった。その標語を考えて表彰された当時、小学校6年生だった大沼勇治さん(45)に、避難先の茨城県古河市から一時帰宅した際に町を案内してもらった。
町が広告塔を撤去すると知り、大沼さんは保存を呼びかける署名活動を始めた。撤去は実施されたが、標語のアクリル板部分が、「東日本大震災・原子力災害伝承館」に展示された。
「あの広告塔があったから、故郷に向き合えた。あの標語を考えた『生き証人』として、町の歴史を伝えていきたい」
と語っている。
3月には東日本大震災から10年ということで、久しぶりに福島の原発被災地にスポットが当たった。だが、それが過ぎると報道は減った。汚染処理水の海洋放出に問題はないのか、継続的な報道が必要だ。(渡辺淳悦)