幕末の志士には、さまざまなユニークな人物が現れました。その中でも、ひときわユニークなのが坂本龍馬です。
一介の浪人でありながら、薩摩、長州という大藩の同盟の仲立ちをしたり、幕府政治を終焉させる「大政奉還」を成し遂げたりします。平時には貿易を行ない、戦時にはダイナミックな人生を送りました。その源泉は何だったのでしょうか。
「龍馬のマネー戦略 教科書では絶対に教えない幕末維新の真実」(大村大次郎著)秀和システム
龍馬の政権に対する考え方
龍馬は大政奉還を実現するにあたって、非常に変わった方法を考えていました。「将軍職はそのままにしていいから、金座、銀座をよこせ」というものです。金座、銀座は、江戸幕府において金貨鋳造あるいは鑑定・検印を行った組織をさします。
幕府は衰えたといえども、まだ日本を代表する規模がありました。そのため、大政奉還は簡単ではなかったのです。幕府は800万石の領地を有する日本最大の領主でもありました。そう簡単に、政権を投げ出すはずがなかったのです。
龍馬は土佐藩の後藤象二郎などと、どうすれば幕府が大政奉還をするか綿密にシミュレーションをしています。その方策の一つが、「貨幣鋳造権を取り上げる」というものでした。大政奉還の直前に、後藤に次のような手紙を出していました。
「幕府が銀座を京都に移すなら、将軍職は残してもいい。そうすれば、将軍職の名はあっても実はないので恐るるにたらない」
著者の大村大次郎さんは、龍馬が金座、銀座を抑えることを強く意識していたと言います。
「尾崎三良の回想録『土佐維新回顧録』によると、大政奉還が成立した直後、龍馬はしきりに『江戸の金座、銀座を抑えなければならない』と語っていたそうです。尾崎三良というのは、幕末に三条実美の家人となり、尊王攘夷活動に公家の側から参加していた人物である。龍馬や中岡慎太郎など、土佐藩の脱藩浪士らと連携することが多かった人物です」
「いずれにしろ龍馬は、金座、銀座を政権の重要なものと考えていました。これは、ほかの志士には見られない発想です。西郷も木戸も、倒幕運動をしているときに、金座、銀座のことなど、まったく考慮していませんでした。龍馬が、政権というものをどう捉えていたのか、如実に表すものだと言えるでしょう」