玉英堂書店は1902(明治35)年、本郷で開業した。1926(大正15)年に支店として靖国通り沿いにある現在の場所に店を立ち上げ、その後、神保町店に経営を一本化。4世代続く老舗書店として、神保町のシンボルの一つになっている。
取り扱い分野は、日本文学。3代目からは稀覯本(きこうぼん)に力を入れるようになった。4代目である斉藤良太さんは爽やかな雰囲気で、取材を快く引き受けてくれた。
お店のつくり、先代のこだわり
幼いころから斉藤さんにとってこの場所は、お店というより祖父の家であった。お店を継ぐことは考えず、大学で理工系の学部に進み、一般企業に就職した。社会人5年目になったタイミングで一度立ち止まり、「玉英堂で働くこと」に思い至る。
「これといって何かきっかけがあるわけではないんです」
先代も斉藤さんの選択を尊重してくれたという。会社を辞めて、何もわからないまま古書の世界へ飛び込んだ。「当時は大変でしたよ」と朗らかに笑って振り返る。中野書店で古書業を一から学び、その後玉英堂に勤めた。先代の元で、古書一筋に見る目を養い、現在4代目店主となる。
1階には比較的手にとりやすい初版本などを並べ、2階で稀覯本を扱っている。上へ上がる階段にも肉筆色紙や原稿が展示され、一段一段足を止めて見入ってしまう。
作品や作家に興味を持った読者が、次第に読者の興味が「この肉筆原稿が欲しい」「稀覯本が欲しい」と、より深まり2階へあがるようになって欲しいとイメージした作りになっているそうだ。「学生のうちは手が届かなかったものが大人になって手に入る、お客様とはそんな長い付き合いをさせていただきたいと思っています」と斉藤さん。
よく見ると、店内にはふくろうをモチーフとした小物や置物がたくさん飾られている。「ふくろうは知恵の象徴、といって先代が熱心に集めていたんです」という。
先代は売り場のディスプレイにもこだわった。表紙のデザインを見せる棚や、ガラスケースに差し込む照明など、細やかな配慮によって商品の価値をより感じられる重厚な空間になっている。
谷崎潤一郎「お艶殺し」の初版本の美しさ
2階で扱う商品は幅広く、三島由紀夫の肉筆原稿から本居宣長の書き残した即吟、その他書簡や色紙なども数多く展示されている。筆者の文字やメモ書き、悩んだ末に消されたのであろう修正部分などを実際に見ていると、書き手の温もりをほのかに感じられるような気がする。
資料館の展示品にはない、不思議なリアリティがあるのだ。収集家をかき立てるものは、こうしたワクワクする心地なんだろうかと想像する。
「玉英堂らしさが伝わるような1冊はありますか?」と(我ながら)ガサツな質問を投げかけると、斉藤さんが1冊の本を紹介してくれた。
谷崎潤一郎の「お艶殺し」(千章館 大正4〈1915〉年)の初版本だ。表紙や見返し、挿画は山村耕花の木版画が贅沢にあしらわれている、とても美しい本だ。1番のポイントは、谷崎の毛筆署名である。これは古くから谷崎と親交があった酒屋のご主人が所有していたもので、その方は玉英堂の馴染みのお客さんでもあった。こうした貴重なものが市場に現れるのも、100年以上続く老舗古書店が築いた関係があってこそだろう。
何も知らない状態から飛び込んだこの世界だったが、「今ではだんだんと古書店の店主らしくなってきたかもしれない」と、斉藤さんは笑って話す。1冊1冊真剣なまなざしで説明してくれるその様子に、古書店とは「価値のあるものを、守り続ける」仕事でもあるんだと、改めて感じさせられた。(なかざわ とも)