日本の資本主義を築いた渋沢栄一と岩崎弥太郎は喧嘩別れしていた!

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合本主義と独裁主義で大激論に

   弥太郎から船遊びに誘われた栄一。酒宴で「今後の実業はどうしていくべきだろうか」と弥太郎に問われ、持論の合本主義を説いた。

   合本主義とは、多くの人々から資金を募り、適任者を見つけて事業を委ねる手法だ。会社をワンマン経営したり株式を独占したりせず、経営が軌道に乗ると栄一は身を引いた。こうして生涯500社近くの企業設立に関わった。

   対して弥太郎は、三菱の社則に「三菱商会は会社の形態をとるが、実際は岩崎家の事業であり、多数から資本を募って結社するのとは異なる。だから会社のことはすべて社長の裁可をあおげ」と記し、「独裁主義」を公言した。

   弥太郎が日本の海運を独占するようになると、これを嫌った栄一は、三井物産の益田孝と結んで東京風帆船会社を設立し、三菱に対抗しようとした。これを阻止しようとしての酒宴の誘いだった。

   酔いが回った弥太郎は「合本法は成立せぬ。もう少し専制主義で、個人でやる必要がある」(「岩崎彌太郎傳 下巻」)と言い出し、栄一が反論。大激論になり、栄一は芸者を全員引き連れて引き上げてしまった。

   弥太郎は新会社潰しに奔走し、東京風帆船会社はほとんど開店休業状態になり、栄一はもろくも敗れ去った。

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