左遷されたかと思い頭をフル回転
――働き方改革がはじまった経緯を教えてください。
朝比奈一紗さん「派遣希望者の電話面談を始めた時期は、5~6年前になります。当時は、私は結婚していましたが、妊娠はまだでした。入社以来、人材やITの営業畑を歩いてきました。社内にはまだ、きちっとした人事部がありませんでした(笑)。人材の会社って人材のプロ集団みたいな感じなので、人事部を作る必要性を感じてこなかったようなのです。そこである日、社長から『人事部の立ち上げをよろしく』みたいな感じで、私と当時も現在の上長の二人が、新設の『人材開発事業部』に放り出されたのが始まりです。
社長からは『ウチには人事部みたいなのもないから、そこで何か新しいことをやってよ』との要望だったのですが、営業しかしてこなかった私にとっては、『これはいわゆる窓際じゃないの? つまり左遷ってこと?』と頭の中が真っ白になりました。社長からも何もプランも示されず、真新しい部署に上長と私がポツンと二人。不安と焦りで、『このままでは自分の席も、会社の居場所もなくなるんじゃないか。これまでの経験と英知を結集して、今何かできることを、自分で作らなければ!』と気持ちをスイッチして、頭をフル回転させました。
そこで、今までの営業でしてきたことを振り返ってみたときに、派遣希望者の面談は、もうちょっと合理化できるのではないか? 効率化できるのでは? というところで、営業から離れて客観的に見たときに、そのような活路があるではと思って始めたのが最初のきっかけでした」
――電話面談と人事部とのつながりは?
朝比奈さん「今回の受賞を機に、社長に本心をうかがってみたところ、『本当に左遷とかではなく、私たちが営業しか経験していなかったので、一度、営業から離れてバックオフィス的な視点から自分たちのやってきたことを見たときに、新しい視点が出るのではないかと思って二人を営業から引き剥がしただけ』とのことでした。今までの価値観にない、何か新しいことをやってほしいというのが真意だったようです。とはいえ、私のこれまでの6年間は、左遷を命じた社長を見返すための戦いでした」
――会社の中で電話面談を推進するために障害はあったのでしょうか。
朝比奈さん「派遣の登録は、来社と面談で行っている会社では、手続きが完了するのに1時間30分~2時間かかります。手続き後に派遣の紹介の判断もしなければなりませんし、必ずしも派遣の紹介ができるわけではありません。そこにこれだけの時間をかけるのは、求職者にとってもマイナスだと感じていました。社内にも、面談を専門的に行っているチームがあって、電話面談の案を出してみました。結果は『何言ってんの、あんた』と、けんもほろろ。固定概念があったり、丁寧な対応をしなければという考えもあるので、既存のメンバーを説得するのは高いハードルでした。そこで『これは、自分自身で実行していかないと先に進まない。自分自身がまずやってみよう』と考えを変えました」
――自分で実行するに当たって、何が必要でしたか?
朝比奈さん「派遣登録者のデータは基幹システムに入っています。面談者が基幹システムにアクセスさえできれば、面談に必要な情報はすべて揃います。逆を言えば、特段の準備がなくでも面談は可能だというのが、私の肌感覚でした。あとは電話回線さえあれば、電話面談はどこでもいつでもできる。そして準備もそこそこに、実際に派遣希望者に電話を掛けてみました。結果は二つ。一つは、求職者の反応がめちゃくちゃ良かったこと。私たちが懸念していたことは、懇切丁寧にしてあげるために、求職者もちゃんと顔を見て面接したいのではないか。それをこちらの都合で電話に切り替えているのではないか、と思われてしまうこと。それは面談後のアンケートで、他社は交通費と時間をかけて面談に行かなければいけないが、家にいるときも職場での休憩時間でも電話面談ができるので『すごく登録が楽でした』とのメッセージが数多く集まり、求職者にも好意的に受け入れられていたのがわかりました。
二つ目は、マッチングで案件と人を結びつけることにおいて、マッチング率が下がらなかったのです。候補者数が何倍にもなりましたので、成約数もものごく上がったのです。それは売り上げにつながっていきますので、そこでも結果が出すことができました。求職者の満足度も上がり、売り上げも上がったことで、上層部からも評価される結果になりました。
今となっては不思議ですね。固定概念でしょうか。私も元のチームにいたら気が付かなかったかもしれません。一度はがして出されたことで、外から俯瞰して見られるし、その時は電話面談しかやることなかったので、その時間が与えられたのも良かったと思います」
――頑張れた原動力はなんでしょう。
朝比奈さん「原動力も二つありました。一つは、一人しかいなかったので、トラブルも自分で解決するしかありませんでした。また、左遷だと思っていたので、何か成功させて爪痕を残さないと退職なんじゃないかという危機感もありました。背水の陣で臨んでいました(笑)。ここで失敗すると退職だと思うと、走れましたね。
もう一つは、産休育休で戻ってきた女性も、私に影響を与えてくれたと思います。ある日、彼女のお子さんが発熱で会社を休んだことがありました。女性は子育てがあれば家の事情で会社を休まなければならないこともでてきます。しかし、休んで影響がでない部署はどこにもなかったのが現実でした。誰かが休んでもカバーできるような社員の働き方改革も会社にとっても急務だと、この時感じました。それも活動の原動力になっていたと思います」