2021年3月、多くの大学で卒業式が行われて、卒業生たちが巣立っていった。それぞれの大学の学長・総長たちが、社会の荒波に飛び込んでいった教え子たちに激励のエールを贈った。
ビートたけしさんの言葉、中島みゆきさんの歌、渋沢栄一や赤毛のアンのエピソード......。そして、女性差別への憤りや、コロナ禍だからこそ、どう社会と向き合っていくか、教え子たちを思う熱情にあふれていた。
J‐CASTニュース会社ウォッチ編集部が、独断で選んでみた。
北海道大総長「少女と少年よ、大志を抱け」
ジェンダーの問題がクローズアップされる今、「男女平等の社会」を訴える人が多かった。
北海道大学では、前身の札幌農学校を開校した米国人農学者ウィリアム・スミス・クラークの「Boys,be ambitious」(少年よ、大志を抱け)が有名だが、北海道大学の宝金清博(ほうきん・きよひろ)総長が卒業式で語った言葉は、ちょっと違っていた。
「私たち北海道大学のメンバーにとってのsoul slogan(魂のスローガン)は、クラーク先生の残した『Girls and boys,be ambitious』という勇気を与える言葉だと思います。その精神は、時代によって、その解釈を変えることができる素晴らしい言葉です。私自身はこの言葉を、北海道から世界へ、私たちの教育、研究、そして人材を広げていくことだと解釈しています」
「これを『光は北から、北から世界へ』という言葉でお伝えしています。『光』はみなさんのような若い人材、そして研究成果です。『北』は北海道大学よりもっと広く、寒冷で厳しい気候・風土を意味しています。このコロナ禍も含めて、まさに、厳しい環境だからこそ、次の社会を先導するイノベーションの光を、北海道大学の卒業生である皆さんが放つことを期待しています」
男女平等が求められている現在、「Girls and boys」と少女を先にしたことが、とても気持ちがよい。
法政大総長「女性が自由に生き抜ける社会を」
男女平等といえば、法政大学の田中優子総長は、炎のように激しく「女性差別」の理不尽さを卒業生に訴えた。
「1970年、私は法政大に入学しました。総長としてここからメッセージをみなさんにお届けすることになるとは想像もしませんでした。当時、女性が大規模総合大学の学長になることなどあり得なかったからです。しかし今は、東洋大や同志社大など、次々と女性学長が誕生しています。米国のカマラ・ハリス副大統領は就任前、『私は女性として初めての副大統領になるだろうが、最後にはならない』と言いました。さまざまな場所で、さらに多くの女性のリーダーが生まれることでしょう」
しかし、コロナ禍によって男女格差はむしろ広がっている。非正規雇用の女性の仕事がどんどん失われているのだ。田中さんは入学後、研究テーマに当時人気のなかった「江戸文化」を選んだ時、
「正規の仕事にはつけないかもしれないが、どんな生活をすることになっても、この道を手放したくない。松尾芭蕉の『無能無芸にしてただこの一筋につながる』という『一筋』しかありませんでした」
と決意したのだった。
そんな田中さんにショックな事件が起こった。
「昨年11月に起こった事件で、この決断を思い出しました。渋谷区のバス停で座ったまま眠っていた60代の路上生活の女性が、石を入れた袋で殴られ、亡くなったのです。女性は非正規で働いており、新型コロナウイルスのために職を失っていました。そうした女性たちは路上で眠ることに危険を感じ、電灯のついている場所で座ったまま眠るのだ、と聞きました。この事件は大学生のころ『どんな生活になってもかまわない』と考えていた私にとって、人ごとではありませんでした。なぜひとつの人生の選択が、このような終わりを迎えねばならないのでしょうか? どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です」
そして、田中さんは卒業生に、こう語った。
「では『実践知』とは何でしょう。今自分が置かれている現実に足をしっかりつけ、理想とする方向に向かって歩み続ける知性のことです。まさに『どんな人も自由を生き抜ける社会』をめざし、その方法を探索する知性なのです。自分が迷った時にはどうするか。複数の選択肢を前にしたとき、多くの情報や、身近な人たちの期待、時には圧力さえ感じます。その渦のなかで自由を生き抜くには、そこから逃げないことです。まず一つひとつに耳を傾け、理解し、言葉に置き換えて明確にする必要があります。それこそが、自分の行く道を探索する実践知のプロセスです。そのうえで、自分にとってもっとも大切だと思える選択は何か、自分自身で決断するのです。その決断が、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることにつながる道であることを、私は心から望んでいます」
東北大総長「百年前の女子学生が切り拓いた世界」
東北大学の大野英男総長は、100年以上も前に入学した女子学生の先駆けとなった3人を紹介した。
「1913年(大正2年)に、本学は当時の帝国大学として初めて、3名の女子学生(黒田チカ、丹下ウメ、牧田らく)の入学を認めました。化学を専攻した黒田チカは、日本を代表する女性科学者として戦後まで学界の第一線で活躍しました。40歳で本学の化学科に入学した丹下ウメは、卒業後にアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に留学して博士号を取得、さらに帰国後67歳にして日本で3人目の女性農学博士となりました」
数学を専攻した牧田らくは、東京女子高等師範学校(のちのお茶の水女子大学)の数学教授となった。彼女たちは東北大学の理念である「門戸開放」と「総合知」のモデルとなったのだ。大野さんが続ける。
「社会が極めて速いスピードで大きく変容を遂げ、これまでの常識や慣習を乗り越える新たな『知』の構築が強く求められる今日、みなさんが東北大学で育み修得した『総合知』は、パンデミックや震災も含めて、これからみなさんが大変革時代を迎えたグローバルな世界に大きく羽ばたき、力強く活躍するために重要な役割を果たすものとなってくれるでしょう。コロナ禍での『自粛』期間が、次の時代へのブレイクスルーを生む機会となる場合もあります」
と述べて、大野さんはコロナの自粛期間を、「総合知」の力を借りて、災い転じて福となすチャンスだとしてこう語った。
「1665年にケンブリッジ大学で学位を取得した23歳のニュートンは、ペストの大流行で大学が閉鎖されたため、生まれ故郷の村に戻ることを余儀なくされました。その『自粛』期間中の18か月間に、ニュートンは、今日の微分積分学の基礎となる研究や、プリズムによる『光学』の実験で大きな成果を上げ、また有名な『万有引力の法則』の着想を温めたのです。このように感染症による社会の閉塞は、思考を深める時期ともなりうるのです」
九州大学の石橋達朗総長は、カマラ・ハリス米副大統領の言葉と、アフガニスタンで命を落とした中村哲医師の話題を取り上げた。中村哲医師は九州大学の卒業生なのだ。
「昨年11月、米国副大統領になるカマラ・ハリス氏は勝利演説で『民主主義は状態ではなく、行動である』と語りかけました。これを聞いた時にハッとしました。民主主義は政治の原理であると共に、経済の原理であり、教育の精神であり、社会全般の人間の共同生活の根本のあり方です。みなさんも社会人として、この『民主主義は行動である』という言葉を忘れないでほしいと願っています」
九州大学の中央図書館には「中村哲医師メモリアルアーカイブ」「中村哲著述アーカイブ」が開設されている。中村哲医師は1973年に九大医学部を卒業、1984年からは医師としてパキスタンのハンセン病病院に赴任。その後長年、アフガニスタンで医療活動を続けながら、現地で灌漑用水路の建設に力を注いでいた。
石橋さんはこう続けた。
「医師である中村先生がなぜ井戸を掘り、水路を作ろうと思われたか。飢えと渇きは医療では救えない、またアフガニスタンの安定は政治や武力では解決できないことを見抜き、現地の人々にとって本当に必要なことは何かを客観的に見、分析し、判断し、行動を起こされました。先生の揺るぎない想いと行動が、私たちを圧倒し、心を揺さぶります。先生はご自身の生き方を『お礼の種子』と表現しておられます。先生の著書に次のような言葉があります。『人も自然の一部である。あらゆる人の営みが自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないだろう』。みなさんがこの大変な時代に、希望を失わず、諦めないで、新しい社会の信頼できる担い手としての一歩を踏み出されることを心から応援しています」
(福田和郎)