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東北大総長「百年前の女子学生が切り拓いた世界」

   東北大学の大野英男総長は、100年以上も前に入学した女子学生の先駆けとなった3人を紹介した。

東北大学の大野英男総長(公式サイトより)
東北大学の大野英男総長(公式サイトより)
「1913年(大正2年)に、本学は当時の帝国大学として初めて、3名の女子学生(黒田チカ、丹下ウメ、牧田らく)の入学を認めました。化学を専攻した黒田チカは、日本を代表する女性科学者として戦後まで学界の第一線で活躍しました。40歳で本学の化学科に入学した丹下ウメは、卒業後にアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に留学して博士号を取得、さらに帰国後67歳にして日本で3人目の女性農学博士となりました」

   数学を専攻した牧田らくは、東京女子高等師範学校(のちのお茶の水女子大学)の数学教授となった。彼女たちは東北大学の理念である「門戸開放」と「総合知」のモデルとなったのだ。大野さんが続ける。

「社会が極めて速いスピードで大きく変容を遂げ、これまでの常識や慣習を乗り越える新たな『知』の構築が強く求められる今日、みなさんが東北大学で育み修得した『総合知』は、パンデミックや震災も含めて、これからみなさんが大変革時代を迎えたグローバルな世界に大きく羽ばたき、力強く活躍するために重要な役割を果たすものとなってくれるでしょう。コロナ禍での『自粛』期間が、次の時代へのブレイクスルーを生む機会となる場合もあります」

   と述べて、大野さんはコロナの自粛期間を、「総合知」の力を借りて、災い転じて福となすチャンスだとしてこう語った。

「1665年にケンブリッジ大学で学位を取得した23歳のニュートンは、ペストの大流行で大学が閉鎖されたため、生まれ故郷の村に戻ることを余儀なくされました。その『自粛』期間中の18か月間に、ニュートンは、今日の微分積分学の基礎となる研究や、プリズムによる『光学』の実験で大きな成果を上げ、また有名な『万有引力の法則』の着想を温めたのです。このように感染症による社会の閉塞は、思考を深める時期ともなりうるのです」
九州大学の石橋達朗総長(公式サイトより)
九州大学の石橋達朗総長(公式サイトより)

   九州大学の石橋達朗総長は、カマラ・ハリス米副大統領の言葉と、アフガニスタンで命を落とした中村哲医師の話題を取り上げた。中村哲医師は九州大学の卒業生なのだ。

「昨年11月、米国副大統領になるカマラ・ハリス氏は勝利演説で『民主主義は状態ではなく、行動である』と語りかけました。これを聞いた時にハッとしました。民主主義は政治の原理であると共に、経済の原理であり、教育の精神であり、社会全般の人間の共同生活の根本のあり方です。みなさんも社会人として、この『民主主義は行動である』という言葉を忘れないでほしいと願っています」

   九州大学の中央図書館には「中村哲医師メモリアルアーカイブ」「中村哲著述アーカイブ」が開設されている。中村哲医師は1973年に九大医学部を卒業、1984年からは医師としてパキスタンのハンセン病病院に赴任。その後長年、アフガニスタンで医療活動を続けながら、現地で灌漑用水路の建設に力を注いでいた。

   石橋さんはこう続けた。

「医師である中村先生がなぜ井戸を掘り、水路を作ろうと思われたか。飢えと渇きは医療では救えない、またアフガニスタンの安定は政治や武力では解決できないことを見抜き、現地の人々にとって本当に必要なことは何かを客観的に見、分析し、判断し、行動を起こされました。先生の揺るぎない想いと行動が、私たちを圧倒し、心を揺さぶります。先生はご自身の生き方を『お礼の種子』と表現しておられます。先生の著書に次のような言葉があります。『人も自然の一部である。あらゆる人の営みが自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないだろう』。みなさんがこの大変な時代に、希望を失わず、諦めないで、新しい社会の信頼できる担い手としての一歩を踏み出されることを心から応援しています」

(福田和郎)

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