法政大総長「女性が自由に生き抜ける社会を」
男女平等といえば、法政大学の田中優子総長は、炎のように激しく「女性差別」の理不尽さを卒業生に訴えた。
「1970年、私は法政大に入学しました。総長としてここからメッセージをみなさんにお届けすることになるとは想像もしませんでした。当時、女性が大規模総合大学の学長になることなどあり得なかったからです。しかし今は、東洋大や同志社大など、次々と女性学長が誕生しています。米国のカマラ・ハリス副大統領は就任前、『私は女性として初めての副大統領になるだろうが、最後にはならない』と言いました。さまざまな場所で、さらに多くの女性のリーダーが生まれることでしょう」
しかし、コロナ禍によって男女格差はむしろ広がっている。非正規雇用の女性の仕事がどんどん失われているのだ。田中さんは入学後、研究テーマに当時人気のなかった「江戸文化」を選んだ時、
「正規の仕事にはつけないかもしれないが、どんな生活をすることになっても、この道を手放したくない。松尾芭蕉の『無能無芸にしてただこの一筋につながる』という『一筋』しかありませんでした」
と決意したのだった。
そんな田中さんにショックな事件が起こった。
「昨年11月に起こった事件で、この決断を思い出しました。渋谷区のバス停で座ったまま眠っていた60代の路上生活の女性が、石を入れた袋で殴られ、亡くなったのです。女性は非正規で働いており、新型コロナウイルスのために職を失っていました。そうした女性たちは路上で眠ることに危険を感じ、電灯のついている場所で座ったまま眠るのだ、と聞きました。この事件は大学生のころ『どんな生活になってもかまわない』と考えていた私にとって、人ごとではありませんでした。なぜひとつの人生の選択が、このような終わりを迎えねばならないのでしょうか? どのような選択をしても、人間としての尊厳をもって生きていかれる社会が必要です」
そして、田中さんは卒業生に、こう語った。
「では『実践知』とは何でしょう。今自分が置かれている現実に足をしっかりつけ、理想とする方向に向かって歩み続ける知性のことです。まさに『どんな人も自由を生き抜ける社会』をめざし、その方法を探索する知性なのです。自分が迷った時にはどうするか。複数の選択肢を前にしたとき、多くの情報や、身近な人たちの期待、時には圧力さえ感じます。その渦のなかで自由を生き抜くには、そこから逃げないことです。まず一つひとつに耳を傾け、理解し、言葉に置き換えて明確にする必要があります。それこそが、自分の行く道を探索する実践知のプロセスです。そのうえで、自分にとってもっとも大切だと思える選択は何か、自分自身で決断するのです。その決断が、どんな人も自由を生き抜ける社会を作ることにつながる道であることを、私は心から望んでいます」