同志社大学長「良心に恥じぬ生き方を貫いて」
コロナ禍のなかで、いわゆる「感染症文学」を取り上げた人が多かった。同志社大学の植木朝子学長はそんな1冊を手に、こう語りかけた。
「コロナ禍のなかで、日本の感染症文学として注目された1冊に、澤田瞳子さんの直木賞にノミネートされた『火定』(かじょう)があります。澤田さんは本学の卒業生で、『火定』は奈良時代の天然痘の流行に題材をとった歴史小説です」
物語は、貧しい人々の救済施設・施薬院と悲田院を舞台に進行する。新羅(編集部注:朝鮮半島にあった国)から伝わったと噂される謎の病の前で、人々は無力だ。施薬院と悲田院の医師たちは必死に感染症を食い止めようとするが、朝廷の医療機関・典薬寮は手を打たず、恐怖にかられた人々は怪しげな神にすがり、その信仰心を利用して詐欺を働き、儲ける者も出てくる。人々の憎悪は病の元とみなされた外国人に向かい、外国人虐殺が始まる。
植木さんはこう続けた。
「施薬院で一心不乱の治療を続ける医師・綱手は、死の恐怖に取りつかれて怖気づく同僚に次のように言います。『己のために行なったことはみな、己の命とともに消え失せる。だが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでもその者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。つまり、ひと時の夢にも似た我が身を思えばこそ、わしは他者のために生きねばならぬ』......」
そして、植木さんは卒業生に、こう呼びかけた。
「見捨てられた病人を必死に看護し、他者のために生きようとする綱手の態度は、本学の創立者、新島襄が育てようとした『一国の良心』ともいうべき人とつながるものでありましょう。卒業後、それぞれが赴かれるそれぞれの場所で、どうかその良心に恥じぬ生き方を貫いてくださいますよう、心から願っています」
ICU(国際基督教大学)の岩切正一郎学長は、カミュの『ペスト』の有名な場面から語り始めた。
春に始まったペストの蔓延によって、アルジェリアのオランという街が封鎖されてしまう。11月になっても収束の兆しは見えない。医師のリユーは淡々と献身的な診療に当たる。ある日、彼は友人のタルーと一緒に、夜の海へ泳ぎに行く。タルーが「自分たちは友情のために海水浴をするべきだ」と言ったからだ。彼らは通行許可証を持っていたので、検問を通過して海に行った。岩切さんが感動したのは、次の場面だという。
《彼らの前で、夜は無限だった。リユーは指の下に岩のでこぼこした相貌を感じ、奇妙な幸福でいっぱいになった。タルーのほうを向くと、友人の静かで生真面目な顔の上に、同じ幸福があるのを見抜いた。(中略)数分の間、彼らは同じリズム、同じ力強さで、波のなかを進んでいった。人々から遠く離れて、ついに街とペストから解放されて。(中略)また服を着ると、彼らはひと言もいわずにその場を離れた。けれどもふたりは同じ心になっていて、この夜の思い出は甘美だった》
岩切さんは、こう続けた。
「周りのみんながペストと戦っているとき、そんな自由を特権のように享受していいのか、という疑問は当然浮かぶでしょう。カミュは、自然と人間社会をあえて2つに分け、自然と一体になった、存在していることの喜びが、人間を、社会生活の悲惨や、さらには倫理的な意識から解放してくれるのだと言っているように思われます。とはいえ、それは社会的な規範から外れた振る舞いに見えるのも確かです」
「私は、人間らしくあることと、社会の規範に従うこととが相容れない瞬間があることを、みなさんに伝えておきたい。これから社会のなかで働き始めると、単純には割り切れない場面に遭遇することはいくらでもあります。困難な状況のなかで窒息しそうになったとき、何か自分を深いところで支えてくれるものに触れなければ自分が壊れてしまいそうなとき、みなさん自身のなかに持っている根源的なもの、自分に幸福をもたらすものに、触れにいって欲しいと思います。カミュの小説のなかの海のようなものに」